教育福島0143号(1989年(H01)11月)-026page
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ん命世話をして、可愛がってきただけにチョウとの別れは、嬉しくもあり、また、つらいものであったようである。
「青虫なんて気味が悪くていやだよ」と泣きべそをかいていた、H子。「虫なんてさわれないよ」と逃げまわっていたS夫。わりばしでやっとつかんでいたM子。そんな子どもたちが、青虫とっき合っていくうち親しみを持つようになってきた。「先生、きれいにキャベツをたべちゃったよ」「うんちをとってあげるよ」「青虫からチョウが生まれてきたよ」教室中が青虫の話題でいっぱいになった。「先生、ぼくのチョウ、動かないよ、どうしたのかな」「心配しないで元気よくとべるように羽をかわかしているんだよ」「ガンバレ、ガンバレ」子どもたちは、友だちに話しかけるように、チョウとの対話を楽しんでいる。「先生、あんなに小さな卵からこんなにきれいなチョウになるなんて、ぼくはじめて知ったよ」「青虫は、チョウのおかあさんなんだね」
命の大切さを口で十回、二十回叫ぶよりも、自分の温かい肌で命にふれた時、はじめて、命のすばらしさに気づくのではないかと思う。青虫やチョウの体のつくりを知ることも大切だが、一生けん命青虫を育てた子どもたちの姿に、私は、どうしょうもない嬉しさを感じた。
「チョウがありがとうといってとんでいったよ」その一言が私の胸をあつくした。「そうだよ、あなたたちが、あのチョウの命を守ってあげたんだよ。あのチョウ、いっぱい卵を生んで、いっぱいチョウになるといいね」終わりの言葉が自然と涙声になってしまってあわてて、青空を仰いだ。子どもたちに見送られてチョウの姿はしだいに遠く、小さな点になってしまった。しかし、子どもたちの心には、チョウの姿がはっきりと残ったのではないかと思った。そして、チョウを見るたびに自分の手で育て、守ってやったチョウを思い出し、やさしい心になるのではないだろうか。
冷たい風に吹かれて咲いている土手の小さな花、なんと強い生命力なんだろうと感動する子どもに育てたい。小さな命を慈しんで、温かい肌のぬくもりでそっと包んであげることのできる子どもに育てたい。
(伊達郡梁川町立堰本小学校教諭)
お堀の魚
金子信久
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私の勤務する県立博物館は、会津若松の鶴ケ城三の丸跡にある。四季の景物が美しく、ことに桜やつつじ、また紅葉のころには、鶴ケ城公園一帯が実に見事な景観となる。そうした季節にはしばしばお城を散策するのであるが、その時には必ずある場所でお堀を眺めることにしている。
この春のことであった。観光客の与える餌に群がる鯉に目をやっていたところ、そのすぐ脇に、ヌルッとした灰緑色をした大きなものが水面をかすめるようにあらわれた。このお堀では、一メートルを優に越えるような大型のソウギョなどしばしば見かけているから、これもまた恐らくはそうした大きな魚の種なのであろう。餌に集まっていた多くの鯉は、おおよそ三十センチから大きいもので八十センチ程度であったので、この大きな魚は一メートル五十センチ位あったかもしれない。水面に姿を見せたのは、ほんの一瞬のことで、私が気づいた時には、すでに頭は見えず、巨大な背から尾にかけてが鈍い光沢とともに、再びどんよりとした水の中へと消えていった。
こうした水の中の生物のもつ神秘性に私はたいへんひかれている。
例えば、アフリカのマダガスカル沖にすむシーラーカンスは、太古の生物がそのままの姿で生息しているということで、まさに不思議な存在であるのだが、この魚をより神秘的にしているのは、海中にすんでいて、ほとんど姿を見せない、幻の魚であることだろう。また、一年に一度くらい、地元の漁師の網にかかることがあるらしい、などという話が、更にこの神秘性を魅力あるものにしている。
私は幼いころに神奈川県の相模湖へ家族とともに遊びに行ったことがある。相模湖には、ブラックバスという外来の魚がすんでいて、湖畔にはそれが生息しているという旨の看板が掲げられていた。私はこの時、深くにごった湖とその看板を前にして、まだ見ぬその不思議な名前の魚が、ひどく恐ろしく、また神秘的なものに思えてならなかった。
私たちは今日動物園などで、ジュゴンとかマナティという動物を見ることができる。あたたかい海に生息している哺乳類で、その体表は無色という感じの白っぽい色で、しかもつるつるした質感をもっていることから、人魚にもたとえられる。自然の海の上でこの動物と出会った時の状況というのは、想像するだけで興奮をおぼえる。
鶴ケ城のお堀では、今日も観光客の歓声とともに餌の麩が投げこまれ、多
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