教育福島0143号(1989年(H01)11月)-029page

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ていけるなら、生きる価値も見いだせるのではあるまいか。本物の生き方を求めてこそ、教員という職業もやれるのであると思う、この頃である。

(県立遠野高等学校教諭)

 

 

ニューデリーからの

一枚の葉書

佐藤泰

 

区の中学校で数学の教師をしている大学時代の親友から突然電話をもらった。

 

三月の半ばころ、東京都荒川区の中学校で数学の教師をしている大学時代の親友から突然電話をもらった。

「俺は、三年間インドへ行くよ。ニューデリーの日本人学校の教師になるんだ。」

ニューデリー!私は、びっくりしてしまった。「なぜ、どうして?」「インド?」「奥さんも?」「日本人学校?」

学生時代から、なかなかおもしろい発想をする彼であるが、よくぞここまで決心をしたものだと、感心するやら、あきれるやら、とにかく彼の話をじっくり聞くことにした。

曰く、「これからは、国際化の時代だ。中学校の教師を一生続けたとしても、国内の同じ地域の六、七校を転勤するのがせいぜい。この機会を逃したら、もう二度とこんな体験をすることはできないだろう」彼の、自信に満ちたはずんだ声に、私はただあ然とするばかりだった。「体に気をつけて…」とだけ告げ、私は電話を切った。

その後、新学期準備の忙しさの中、成田まで見送りに行くという約束も果たせないまま、教師としての毎日に追われる生活が続いた。しかし、私の心には、彼のはずんだ声が消えることなく、何度も何度も繰り返し浮んできた。教師として十数年、なに不満なく過ごしてきた私にとって、彼の言葉は私の好奇心を大いに刺激したのである。子どものいない彼等夫婦のように、気軽に海外などに行けるはずのない私たち夫婦にも、少なからず衝撃を与えた。

国際理解と文化・伝統の尊重が叫ばれ、AETによる英語の授業等、様々な動きが教育現場を変えようとしている。そんな中で、我々教師自身が国際化への対応をまず迫られている。そして国際社会に生きるという視野を持ってこれからの教育を推進して行かなければならないように思う。このような時に、海外で私にはできない貴重な体験ができる彼が、うらやましかった。日本人学校で国際人としての邦人の姿にじかに接することができるであろうし、英語にも堪能になるであろう。また、なによりもこの日本を国際的な観点から見つめなおすことができるであろう。

彼に負けないよう、私の国際化への素養も高めていきたいと思った。

 

「暑中お見舞い申し上げます。元気ですか。田舎に国際便の第一弾です。この葉書で、そちらも少しはインターナショナルになったでしょう。夏休み(五月十六日から六月三十日)には、アグラへ旅行してきました。アグラでは、あの有名なタージ・マハールに足を運びました。列車を使いましたが、席は日本のグリーン車なみで、料金は千百円という安さ、それに食事つきである。インドよいとこ一度はおいで、俺は待ってるぜ!ニューデリーにて」

(南会津郡南郷村立南郷中学校教諭)

新任地の思い出

 

新任地の思い出

佐久山洋子

 

時の経つのは早いもので、私も、教員生活二十数年が過ぎようとしています。

 

時の経つのは早いもので、私も、教員生活二十数年が過ぎようとしています。

初め、無我夢中で過ごしてきた教員生活でしたが、今ようやく余裕らしいものができるようになってきて、思い出されるのが、新任時代のことです。

初めて教師の辞令を頂だいて、四月だというのに、まだ周りに一メートル近く積雪のあるじゃり道を、バスに揺られて、山また山を越え、着任したのが南会津の1中学校でした。

初めての生徒たちとの出会い、山村の子らしくきらきらしたひとみが、一斉に私に向かって注がれたとき、私は、からだが震えて、どうしょうもありま

 

 

 

 

 


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