教育福島0144号(1990年(H02)01月)-025page

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随想

ずいそう

T子の機転

T子の機転

島 辰子

島 辰子

 

「先生をたたいてやる。わたしが、先生をたたいてやっから」体が大きく、一番後ろの席にいたT子は、怒ったような顔をして、つかっかと私めがけて進んで来る。二年一組三十二名の児童は、どうなることかとかたずを飲んでT子を見守った。「私が悪いのだ。どのようにたたかれようと甘んじて受けよう」と、私は静かにT子を待った。

 

今から数年前のことである。ことの起こりは、N男が二百五十円ばかり入った財布を拾って、届けてくれたことに始まる。私は、N男の正直な行為を学級のみんなに紹介し、土曜日のテレビ朝会の時、全校に向けて落とし主を尋ねてもらうことにした。すでに授業が始まっていたので、終わったら週番の先生に届けようと思い、何気なく財布をしまった。授業を続けているうちに、いっか財布のことは忘れてしまっていた。

土曜日の朝になって財布のことを思い出し、放映してもらおうとしたら財布が無い。机の引き出しにしまったはずだ。引き出しを全部探したが、無い。もう一度調べてみたがやっぱり無い。「盗られた」と私は思った。

もしも盗った子がいるのなら、素直に反省し、悔い改めることが大切なことを言葉を尽くして諭した。そして、「心当たりがあれば○、無ければ×をつけ、名前を書かないで出してね」といって、小さな紙片を配った。「○があれば、非を悔いている子がいるのだから、詮索などはせず戻してくれるのを待とう」と願ってのことである。

結果は全員×。誠意が通じないのかと悔しく、情けなかった。

数日後、財布は見つかった。机の引き出しなどに入れておいて無くなっては困ると思い、別の所に保管したのをすっかり忘れてしまったのである。「先生がしまい忘れたのに、みんなを疑ったりして本当にすまなかった。悪い先生。だから、先生をたたいてちょうだい」といって、いすに座った。

困った様子の子どもたちの中から、「いいよ、先生」という声も聞こえた時、T子は立ち上がったのである。乱暴な言動も見られ、私に叱られることもあった丁子は、いきなり私の背後に回ると、とんとんとんとんと優しく肩をたたいてくれたのである。教室には、笑いと拍手がわき起こった。

 

何と優しい機転であろう。「先生をたたけ」などと、無茶な詫び方をした教師の面子もつぶさず、困っている子どもたちの立場も救ってくれた。しかも、へまな私の過ちを無言で許してくれているばかりか、いたわってさえくれているのだ。うな垂れて肩をたたかれながら、私はあふれる涙をどうしょうもなかった。

「人を許す。思いやる」などと百言を語るより、T子の肩たたきははるかに強い説得力で、子どもたちの心の奥深くに浸透したにちがいない。

私もまた、この一件から、実に大きな多くのものを学ばされた。この教訓を深く受け止めて、それ以来、教師として生きる糧としながら、子どもたちにも豊かに返してやれるよう努めるようにしている。(いわき市立錦小学校教諭)

 

体験学習

橋本賢司

橋本賢司

 

「Aさんは、毎朝、自分で弁当を作って、持ってくるんだってね」「そうです。今は、兄の分まで作っています」

これは、芋煮会にいく途中での、中学三年生の女子生徒との会話の一部である。彼女は、地元が誘致した会社の社長の長女である。中学生になると同時に、始めたそうである。彼女のお兄さんも、そうしたらしい。たかが弁当ぐらいと思う方がおられるかもしれないが、毎朝、兄の分まで作る中学生が何人いるだろうか。

彼女との会話で、七年ほど前に、

 

 

 


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