教育福島0144号(1990年(H02)01月)-028page
出てくれば、物を有効に使おうとする気持ちが薄くなるのは当然であろう。また、気ままな食事態度の子どもが増えて食物の好き嫌いも激しくなり、歯みがきなどの習慣も崩れてきている。
このように人間の自立や社会の形成に欠かせない基本的行動様式が身に付いていないと、生活が乱れ自立できないだけでなく集団生活でも不適応を起こす結果となってしまう。これらに大きなかかわりをもっているのが『しつけ』指導であると思う。『しつけ』は行動様式を押し付けるものとみる傾向もあるが、単なる押し付けだけで人間が成長するはずはなく、行動様式を育てることがやがて人間の在り方や生き方の追求につながるものと思われる。
礼儀正しくしたり部屋を掃除したりすることは、まず親や教師が身をもって示さなければ子どもは納得しない。口先だけで指示をしても意欲を持たないし、なぜそうしたほうがいいのかが理解できない。これは子どもの一番近くに親や教師がいるからであり、子どもは親や教師と同じことを体験することに喜びをもっているからであろう。
このように実践を通して行動様式を身に付ける場合は、更に細かい行動様式が組み合わされている。例えば『きれいに掃除する』ことを身に付けさせるとき、ほうきの持ち方、掃き方、ぞうきんの絞り方、ふき方、ふいた後の始末、掃除の手順など、細かい行動様式を一つ一つ丹念に実践して身に付けさせ、それが総合されて『きれいに掃除する』という行動様式がはじめて成立する。
日本古来の『しつけ』はこのようにして行われてきたのである。『掃除を怠けるな』というような言葉による一方的な指示が多くなるにつれて、行動様式が崩れてきたことは否定できない。行動様式を育てるには、もう一度『しつけ』の原点に立ち返らねばならないと思う。このような意味を持つ行動様式が戦後の価値観の転換に伴って否定されたり、外国の行動様式が正しいとされたりして混乱の時代が続き、当時育った子どもが親となり教師となっている(筆者もそうである)現在、今の子どもたちに様々な影響が現れるのは半ば当然の結果であるかもしれない。
日本の『しつけ』に基づく行動様式は長い歴史を持っている。それは試行錯誤の中から生み出された尊い先人の遺産であるとともに、時代の変化に応じて創造し磨いていく文化所産にしなければならないと思うのである。
(県教育センター科学技術教育部技術・家庭科教育係長)
私のスタートライン
佐伯貴子
山に白い雪がうっすら見え始める初冬のころになると、思い出すことがあります。それは、私が大学卒業後、初めて助教諭として教壇に立った日のことです。
昭和六十一年十二月一日、耶麻郡西会津町立尾野本小学校軽沢季節分校が開校しました。私にとって、ここでの四か月は、「教える」ことの難しさ、「子どもとの触れ合い」の大切さを学ぶとともに、教員生活のスタートともなりました。
その日、たった一人の教え子であるH君と会いました。会うまで、大変楽しみにしていましたが、H君の素朴な眼を見た時、その気持ちは不安な気持ちに変わりました。それは、H君の家族の期待に応えることができるであろうか、私の指導は、H君のマイナスにはならないだろうか、という不安でした。「教師は子どもの鏡である」ということをよく耳にしますが、初めて教壇に立ち、その言葉の意味を痛切に感じました。
そして、そんな不安を抱いたまま、たった一人の児童との学校生活が始まりました。毎日が、無我夢中で、いつしか不安な気持ちは、忙しい毎日の中でかき消されていきました。
一人っ子で、甘えん坊であるH君は自分の思い通りにいかないと投げ出してしまうことがありました。それが初めて見られたのは、たて笛の練習の時でした。いつも同じところで指が動かなくなってしまうH君は、二回ほど練習すると 「先生、もうやめようよ」と、言いました。たった二人の学習であっても、なれあいになってはいけないと考えていたので、私はできるまで練習することをH君に言いました。険悪なムードの中で私は、また不安になってしまいました。しかし、やがてH君は、練習を始め、その日のうちにできるようになりました。二重奏ができた日「先生、できたね。夢みたいだなあ」と言うH君の晴れやかな顔は、不安を抱きながらも一緒に練習することしかできなかった私に、かすかに自信を与えてくれました。
現在、私は双葉郡川内村立川内第二小学校に新採用教員として勤務し、十