教育福島0144号(1990年(H02)01月)-030page

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任したのは、一昨年の春のことである。当初は、元気良くあいさつをし、道路を走っている自動車を運転している人にまで、立ち止まってお辞儀をする子どもたちの姿に驚かされたものである。また、子ども一人一人の素直さは、今までに出会ったことのないものであった。しかし、五・六年生の複式学級を担任し、対外的行動に参加する子どもたちの姿を見るにつれ、一つの不安が、次第に頭を持ち上げてきた。それは、子どもたちの『おとなしさ』であった。そして、何をするにもびくびくとしながら、自信なさそうに行動している姿だった。サッカー大会や水泳大会、それに、陸上競技大会に参加しても、力を出し切れずに終わってしまうことが多かった。そして、何よりも心配なのは、『どうせぼくらは一番小さな学校だ。負けたって当たり前』という顔をしていることだった。「この子たちは、悔しくないのだろうか。いつも受け身で、素直で、礼儀正しいだけでいいのだろうか」こんな思いを抱きながら、一年目が過ぎようとしていた三月、たった一人の男子の卒業生が訪ねてきて、「ぼくがサッカーの選手だったときは、試合では一点も入れることができなかったなあ。悔しいなあ」と、私に話しかけて来た。それからである、『ぼくらだって、やれば出来るんだ』という自信を持たせたい、勝利の感動を味わわせたいと強く思い、今までよりも真剣に練習に取り組むようになったのは……。だが、我がチームは、女子を混じえた三・四年生を含むチームである。五・六年生の男子を主体にしたチームを相手に点を取り、勝つということは容易なことではない。やっぱり無理かなと何度思ったことだろう。しかし、子どもたちは、単調な基本練習の反復や、厳しく強引とも思える練習に良くついてきた。初めは、『言われるから、やる』というような練習態度であったが、徐々に子どもたちの表情が、『先生、サッカーが楽しくなってきたよ』と、変化してきたのである。いつもの受け身の態度から、自分から進んでやる態度に変わってきたのである。

いよいよ夏の地区大会が来た。体の大きな六年生へぶつかっていく三年生。ボールを取られても、何度も食い下がる女子。子どもたちは力の限りを尽くした。試合を終えたときには、初得点の喜びと、勝利の感動を味わうことができた。そして、汗と涙でくしゃくしゃになった顔には、満足感が溢れていた。彼らは、子どもが持っている大きな可能性、教師の責任の重さを教えてくれたのである。

今、私は、子ども一人一人が「見上げるほどの大木」となることを祈りながら、ともに学び合い、ともに生きる喜びを味わえる教師でありたいと、強く思っている。(須賀川市立東山小学校教諭)

雑 感

 

雑 感

松浦 恵美子

坂下高校に赴任して二年目である。

坂下高校に赴任して二年目である。

毎朝、学校へ向かって十分ほど坂下の町を歩く。春、ここで見るスイセンやあやめは雪国ならではの美しさである。それとは裏腹に、冬はひどい風が吹く。そうとは知らず、昨年は傘を一本駄目にした。

途中、小学校と幼稚園があり、高校生のかたわらを子どもたちが通り過ぎて行く。園児の大きな名札と小学生の更そうなランドセル、小さな体で誇らしげである。ふと、昨日注意した生徒の服装のことを思う。こうして学んできたことを、どこで忘れて来てしまうのだろう。基本的生活習慣にしても、学習にしても、結果的に身に付くまで教えられなかったというのは不幸なことであると思う。しかし、教えること、それを身に付けさせて行くことの難しさ。生徒には生徒の経験も習慣もあってのことなのである。

だった。くやしくて泣きながらやったこともある。だが、終わりはしなかった。

あれは六年生の時だった。いくらやっても終わらない課題があった。漢字の課題で、できたら進むというものだった。くやしくて泣きながらやったこともある。だが、終わりはしなかった。

そのわけをついこの間知った。先生は目標とするところの先の問題まで用意してくれたのである。それで良しとしたらそれ以上伸びないからである。あの先生はベテラン中のベテランだった。優しかったか、楽しかったか、それだけ聞かれても答えられない。ごまかすことはできず、こわかった。本当に良い時だけ、しかし、必ず褒められた。「いいか悪いかその時にはわから

 

 

 


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