教育福島0144号(1990年(H02)01月)-053page

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博物館ノート

妙沢筆不動明王二童子像

絹本著色三幅対嘉慶元年(一三八七)

妙沢筆(各幅)縦一一一・四センチメートル 横四〇.〇センチメートル県立博物館蔵

妙沢(一三〇九−一三八八)は南北朝時代の禅僧で、夢窓疎石の法嗣の一人である。甲斐に生まれたが、のち京へ出て臨川寺、建仁寺、南禅寺、天龍寺などに歴住した。江戸時代に書かれた画人伝などによれば、一日一枚ずつ不動明王の画像を描くことを三十年あまり続けたという。

今日、妙沢の描いた、不動明王像は数多く残っているが、それらの図様はみな同じである。ただし、不動明王独尊のものと、二童子像が付いて三幅対をなす形式のものがある。

館蔵の作品は二童子像の付くものの一つで、中幅に宝剣と羅索を執る不動明王像、向かって右に矜羯羅童子像、左に◆◆迦竜子像を配する三幅対である。概ね墨で描かれているが、不動明王の火炎や目頭・目尻、童子の肉身や衣などに赤系の淡彩が施されている。水墨画のような、運筆の様々な効果を生かした表現が特色で、気迫のこもった画像を描き出している。中幅の上方に記された自賛によって、妙沢示寂の前年に描かれたものであることがわかるが、同年の制作になる高野山`寿寧院本とともに、多くの妙沢画のなかでもことに味わい深い最晩年の一作といえる。

矜羯羅童子像

矜羯羅童子像

不動明王像

不動明王像

◆◆迦童子像

◆◆迦童子像


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