教育福島0146号(1990年(H02)04月)-024page
その時の生徒たちの悔し涙を見て、「ようし、県大会に出場させるまでは絶対にサッカー部の顧間はやめない」と心に誓ったのです。
次の日から、体育の先生から借りた教科書を片手に自分なりに勉強し、雨の日も風の日も生徒たちと一緒に一年間を過ごしました。
努力のかいあって、二年目には念願の県大会出場を果たすことができました。県大会では一回戦は突破したものの大きなアクシデントが待ち受けていました。二回戦に入る直前、暑い日射しに一人の選手が熱射病に倒れてしまったのです。戦力の低下と心の動揺によるチームワークの乱から、二回戦で敗退してしまいました。技術のみでなく、選手の精神力の育成や健康管理の大切さを思い知らされ、また悔しさが込み上げてきました。それをバネに、今度は県大会優勝の夢を持ち、サッカーに専念することにしました。
三年目にして、夢の県大会優勝を飾ることができました。こんなに早く夢が実現できたのは、好選手に恵まれたことと、技術のわからない私が選手たちと一緒に勉強し、相互に信頼関係が成り立っていたからだと思います。以後も生徒と苦楽を共にしながら今日に至っています。
後輩の先生に、よく「勝つ秘訣は何ですか」と尋ねられることがありますが、私には別にそんなものはなく、ただ「生徒と常に一緒にいることですね」と答えています。私は専門家でなく素人なので、技術的なことは詳しく指導できないわけです。欠点を指摘するのでなく、試合で良かった所をほめてやることによって、生徒たちはますます意欲を持って練習にうちこみ、技術を高め合っていくのです。毎日毎日、基本を繰り返し練習し、そこで身についたものが試合にあらわれてくるのです。
「継続は力なり」私の好きな言葉です。練習によって培われた力に、生徒と先生の信頼関係がプラスされてこそ結果が出ているのです。特に団体競技においては、信頼関係を一番大切にしていきたいと考えています。
(いわき市立植田中学校教諭)
察知とタイミング
渡辺剛
小学生のころ、近所のガキ大将に連れていかれたのが最初であった。竿(さお)はその辺から切り取った竹。糸は木綿糸、畑の隅から掘り出したミミズをつけ、鮒をつり上げたのが唯一の釣り経験であった。その後、機会もなく、また私自身興味もなく、今日に至ってしまったのである。
それが、どういう風の吹きまわしか、わが職場のその道の先達に誘われて釣りに出かけることになった。「竿はこれこれの物を用意しておけ。あとは全部こっちで準備しておく。明朝五時、わが家に来い」これが先達の指示であった。
五月のさわやかな日曜日であった。六号国道を走る彼の車の中で、私の胸は少年時代のように高ぶり、想いはすでに大漁であった。針から魚を取りはずす感触さえ味わっていた。
海に着く。ここでえさをとるという。波打ち際にいる一センチメートルに満たない虫を網ですくうのである。この虫と砂をまぶし、それをまいて魚を集め釣り上げるのだから、えさが濃ければ濃いほどよいということになる。これがなかの難事であり、一時間以上もかかってようやく終った。すぐにでも釣り糸を垂れる優雅なことを想像していた私には、いささか裏切られた感じがないでもなかった。
漁港を近くにひかえた、とある浦の土手が釣り場であった。糸を垂れる。五月にしては暑すぎる太陽がさし込み、とんびが頭上で舞い、そして鳴いた。蛙がしきりに騒ぎ、よしきりが対岸で声をあげた。体の中を風が吹き抜け、その瞬間一切が空(くう)となった。空白になったままの頭で砂をまき、ひたすら浮きを見守った。
この日、二人の釣果は五対一であった。
この比率は回を重ねても変らなかった。先達のいわく。「ひきは一様でない。浮きを沈めるもの浮かすもの、横に流すものと様々だ。魚により場所によってもちがう。浮きの動きから見えない魚の姿を見、動きにあわせて絶妙のタイミングで竿を上げるのだ」と。
納得。が、それがむずかしいのだ。
察知とタイミングとえさの濃さと。
察知とタイミング。そして準備。
表面に表われた子どもの動きから、日に見えない彼らの心の動きを察知する洞察力を培うこと。
指導の手を差しのべる微妙なタイミングをまちがわないこと。早過ぎればとり逃がし、遅過ぎれば針を飲んだ魚のように、終生消えることのない傷を残す。
そして、それに至るまでの準備の重要さ。用意が周到であればあるほど効果が上がるのだ。
いまだに釣り師としては三流のままであり、それもよしと思っている。しかし、教師としては一流を目指し、研修に励みたいと念じている。
(原町市立原町第二小学校教頭)