教育福島0146号(1990年(H02)04月)-025page

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スポーツを通して

奥村武夫

 

か」という声が子供達の間から聞こえてくる。私達もタイムが上がらない理由を

 

「わるいな」「まただめか」という声が子供達の間から聞こえてくる。私達もタイムが上がらない理由を

1 疲労がたまっているのか

2 子供達の精神的な面か

3 練習方法がマンネリ化してはいないか

と色々と考えていると、子供達から「もう一回やろう」と、悔しそうな声で私達に強く迫まった。

では「今度こそ、好タイムを出そう」とお互いに励ましあい、スタートする。小さいミスがあるものの、まあまあのできであるが、タイムは思わしくない。

これは、数年前の少年少女リレー大会に向けての練習中の事である。県南ブロックでは、好タイムで入賞でき、それと比較して子供達は「わるい」と口にしているのであるが、グランドの条件が違うことと、競い合う相手がいないこと等でタイムは比較できないが、大会前と比べてタイムが落ちていた。

疲労していたので、練習量をダウンしたり、練習メニューを替えたりして毎日練習を重ねていた。

全天候グランド以外では、スタートラインより先、数メートルは砂で滑って全力疾走ができない。そこで、きれいに砂等を取り除くよう指導してきた。それにヒントを得てか、ある日、タイムを上げるには砂を取り除けばよいということになり、子供達は、校庭の二百メートルトラックのコース毎に砂を竹箒ではき始めた。日曜日の練習であるから、時間は十分ある。子供達が自主的に始めたので、一人一人がもくもくと砂取り除き作業を熱心にやっていた。私達も一緒に作業をやり約一時間三十分位で作業が終わった。

さて、練習。子供達は、今度こそはという気持ちが顔に表われているようで準備中も普段と違って明るく、雰囲気が全く別であった。

いつもながら、心を一つにするため円陣を組み声をかけ合う。お互いに自分のポジションにつき、スタート準備が完了したところで、スターターと第一走者が呼吸を合わせスタートすると、この数日間は、練習量をダウンしていた事で、疲れがとれたか、ぐんぐんスピードが上がり、二走者、三走者、四走ともバトンパスもうまく、スピードが上がり、ゴールした時には、全員が県南大会の時のように満足したようであった。タイムも勿論、以前の練習と比べ好タイムであった。

現代の子は、困難に耐え、それを乗り越えていく気迫や協調性、連帯感等に欠けていると言われているが、この練習を通して見る限り、この子供達には全くその事が感じられない。

チームプレーでは、自分が苦しい事に耐え、チーム全員が協調し合う事によって、好タイムが生まれ、よい成績結果が生まれるという事を習得したように思うし、そこにまた、私達の指導のねらいの一つあると考えている。

(西郷村立小田倉小学校教諭)

 

練習の成果を発揮して懸命に走る子どもたち

練習の成果を発揮して懸命に走る子どもたち

 

暇つぶしの効用

湖東泰玄

 

かと思い、もうちょっと先輩面できることをしたいと考えるが、いかんせん生来

 

三年担任という忙しい学年を終え、学級全員が新しい世界へ出発して行ったのを見届けたこの一瞬が、一番ほっとできる時のように思う。振り返って考えれば思い出話になるものだが、大げさに言わせてもらえば奈落の底を歩いている時もあるようなものであろう。しかし、教師とはこんなものかと達観したようなつもりで、一人タバコに火をつけている自分を見て悦に入るのも悪くない。新任の先生の希望などを読ませてもらうと、生徒一人一人を大切にとか、個性を大切に共に歩みたいとか、新鮮に思える文章がずらっと述べてある。その心は失ってはいないつもりだが、どうもスムーズに表現できそうにもない。そんな年代に来たのかと思い、もうちょっと先輩面できることをしたいと考えるが、いかんせん生来

 

 

 


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