教育福島0147号(1990年(H02)06月)-029page
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
これまで学校、家庭生活では体験できなかった多くのことを、自分の身体で体験できた喜びを全身で表現する。
退所時には、「さようなら」「お世話になりました」「ありがとうございました」……と、顔に笑みを浮かべながら、子どもたちの心からの感謝のあいさつ。更に、子どもたちと握手した手のぬくもり等から、「自然の家」でのいろいろな活動を通して、心身ともにリフレッシュすることができたという、子どもたちの満足感、充実感を感じとることができる。
![]()
みんなで作ったカレーライス
また、学校、少年団体等の責任者から、退所後の子どもたちの変容の様子や事後指導等について便りをいただくことがある。心あたたまる便りを拝読すると、心がやすらぐと同時に、明日からの努力へのエネルギー源ともなってくる。豊かな自然、多くの人との触れ合いを通していろいろ教えられている昨今である。
(福島県会津少年自然の家指導主事)
中近東体験記
佐藤武之
![]()
「グッドモーニング、モハメッド」
「オハヨウゴザイマース」
バハレーン日本人学校の子どもたちとスクールバスの運転手との朝の挨拶で一日が始まる。雲一つない青空が、もう半年も続いて、朝の七時でもじっとりと汗ばむ中、子どもたちが、弁当と水筒を持って元気に登校してくる。
福島の片いなかで生まれ育った私にとって、外国の人に会って話をすることなどはまれであった。その私たち家族が海外派遣教員として三年間の海外生活の機会を与えられ、貴重な体験をしたことは、帰国して二年も経った今でも鮮烈に思い出される。この貴重な体験を、少しでも多くの方々に伝え、次代を担う子どもたちが、将来国際社会の中で生きるために少しでも役に立てばと思い、あえて筆をとることにした。
私が派遣された国はペルシャ湾に浮かぶ小さな島国、バハレーンである。島の大部分は灼熱の砂漠であり、北部にわずかに広がるオアシスに三十五万人ほどの人々が生活している。うち、バハレーン人は十五万人ほどで、他の多くは出稼ぎの東南アジア系の人たちと、わずかなヨーロッパやアメリカからの企業派遣の人たちであり、人種も様々である。日本人は、そのほとんどが大手企業の駐在員で五百人ほどいるが、二年から三年ほど滞在して帰国するか、他の国へ転勤する。
中近東の人たちの多くは、苛酷な自然条件から生まれたイスラム教の信者であり、生活様式が日本人とはまるで違う。朝の四時から始まる、朗々たるコラーンの響きとして知られる「祈り」の時間が日に五回、日中は何ひとつ口にしないで一か月も断食を続ける「ラマダン」など。また、目を街に向けると街中の物乞い、黒い布を身にまとった女たちなど、私たち日本人にとっては異様に写る光景が見られる。しかし、それは彼らの伝統的な文化なのである。彼らはそれを誇りに思い、卑屈になることはない。物乞いも恥ずかしいこととは思っていない。豊かな者は貧しい者に分け与えるのが当り前であり、ごちそうになっても礼は言わない。
しかし、そんな彼らも、街で出会うと羨望のまなざしで私たち日本人を見つめ、一様に日本の文化について質問をする。そして、口々に称賛する。彼らはその異文化を学ぼうとしているのである。急速に高度成長した日本に目を見張るものがあるからであろう。
私はこの三年間の海外生活における貴重な体験から多くを学んだ。
特に、日本は彼らの指導的立場にあることを直接肌で感じ、改めて「わが国の伝統と文化を尊重し、誇りをもって国際社会に生きなければならない」と、痛切に思う。
(富岡町立富岡第一小学校教諭)
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |