教育福島0147号(1990年(H02)06月)-031page
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各地の状況、学校の荒廃化が進む中で汗みどろの実践をしている先生の生の声、荒廃状況を克服し、生き生きと自信に満ちた口調で実践の経過を話してくれた先生等、同じ教職の道を歩む者として学んだものは実に大きかった。
また、懇親会で、全国各地の名産を酒の肴に、これまた全国各地の酒を飲み交わしながらの語らいも忘れられない思い出である。ちなみに、福島の酒は「花春」が有名らしい。それらの先生方との交流は今なお続いている。
それにしても気がかりだったのは学級の生徒たちと部活動であった。部活動は土曜日に帰福し、日曜日に指導することが出来たが、学級はそうはいかない。しかし、学年のベテランの先生方に支えていただき、前にも増して、しっかりした生徒に成長させていただいた。
「T先生、M君はその後どうですか」「休まずに登校しているから心配しないでがんばって下さい」この一言が一番の励みになった。
「先生、六点差で負けました」今にも泣き出しそうな声で校内陸上の結果を報告する学級委員のN子。このあと、S先生から「六点差で負けましたが、帰り短学活でY君が『負けたけど、皆んなで心を一つにしてがんばったんだから拍手』という発言で、皆んな、拍手でお互いの健闘を称えあっていました」という手紙をいただき、先生のきめ細かな、そして愛情あふれる御指導と生徒の成長ぶりにいたく感動したことも忘れ得ぬ思い出である。
秀峰、筑波山を背に、新緑の筑波での研修から一年が過ぎようとしている。多忙さにかまけて、ついつい怠惰な性格が首をもたげようとするのではあるが、あの時の感動を忘れずに努力精進したいと思っている。
(福島市立大鳥中学校教諭)
一年を終えて
木村忍
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長年の念願かない、教師として働き出してから丸一年が過ぎた。
私は幼いころから父の転勤の都合で転校が多く、行く先々でたくさんの先生に世話になった。私が教師を自分の職業として意識するようになったのも、おそらくその辺の事情かと思う。
今年、思い出深い先生方に、年賀状を書いた。学生時代のズボラゆえに、失礼ながら数年ぶりの音信となってしまったが、どの返事にも温かい励ましの言葉が長々とつづられて、大変感激した。同時に今や自分も同じ職に身を置いているのかと思うと、この一年を夢中で過ごし、気にも留めなかったこの事実が妙な実感として迫ってきた。
「新米でもベテランでも教壇に立ってしまえば生徒にとっては同じ教師である」昨年、先輩の先生方からよくこう言われた。まだまだ新米の私にとって、ともすれば抱きがちな「不慣れだから」という甘えに対する自戒の言葉として今も胸に響く一言である。
我々の職業は、確かに新米であってもある程度のレベルの仕事を要求される場合が多い。そんな時、場数を踏んでいない我々の武器は、やはり「若さ」である。生徒の側からすれば若手教師のほうが親しみやすいのは明らかなようで、その点ではまったく助かっているといえる。
しかし、私がいかに若いからといって、今の高校生との間にはもはや感覚の上でだいぶ隔たりがあるのも否めない。年齢が近いと、気持ちも理解しやすいという訳にはいかないようだ。
近年ますます禁煙の風潮が広まる中、生徒たちは依然タバコに興味を示すし、巷でソフトスーツなるゆったりした服装がはやる一方、生徒たちは裾の短い「タンラン」を着たがる。挙げれば切りがないが、彼らの間には大人社会とは隔絶された流行や価値観が存在している。しかもその変化たるや年を追うごとに目まぐるしくなっていくように思われる。
思えば私たちの世代も「新人類」とか「共通一次世代」とか呼ばれ、年上の大人たちから一種特別視されたが、さしずめ「超新人類」とでもいうべき今の高校生には私も時々驚かされる。変化の激しい現代社会では、ジェネレーション・ギャップを生じる年齢差も昔より縮まっているのかもしれない。
私も今年はクラス担任を務めることとなった。とりあえず一年間を乗り切り、多少自信を感じていた矢先だったが、初めて経験する担任業務は殊の外繁雑で、四苦八苦の連続である。それぞれ違う生徒を伸ばしてやるにはどうしたらいいか、邪険に扱っていないかと毎日気が気でない。
そんな中、同じ仕事を鮮やかにこなし、余裕すら感じられるベテランの先生方を見ると、やはり敬服せずにはおれない。今は、勇み足に気を付け、精一杯に焦らずキャリアを重ねていきたいと思う。当面の目標は三年を乗り切ることである。
(県立岩瀬農業高等学校教諭)
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