教育福島0148号(1990年(H02)07月)-007page
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シカゴコンサートホールで演奏するFMC合唱団
過去の苛烈な戦争のために、ヨーロッパに比べると我々の演奏に対して相当に批判的であったアメリカでの出来事である。
昭和六十年の夏、梁川ウィンド・アンサンブルを連れて、オハイオのケタリング市の壮大な大聖堂で演奏した際、アンコールに応えて"God Bless America"(アメリカよ栄光あれ)を演奏したことがあった。当日はちょうど四十回目の終戦記念日に当たる八月十五日だった。同市の或る有力者で、大戦中には海軍軍人として日本と戦った一人の老人が幹事のところに来て、
「アメリカは相変らず戦略戦争に没頭している。終戦後、日本は平和を求めているというが、果たしてどうかと疑っておった。今夜日本からの若い諸君が誠に清麗な音楽を聴かせてくれたので、日本が確かに平和を求めていることが判った。日本の若い諸君に私の気持を是非伝えて欲しい」
と言って立ち去られた事を、翌日になって主催者側から聴かせていただき、私は思わず目頭が熱くなって困った。
これより八年前の昭和五十二年にFMCが同じオハイオのウルバナ市の養老院で慰問演奏をした折にも、これと似たような事があった。これらの事実から、私は、戦争というものは如何に我々の人生行路に大きな影響を残しているか、そしてまた、音楽が国際的な言葉として如何に大きな力を持つものであるかを改めて強く認識した次第であった。
日本の学校教育は明治以来百有余年になる。この間、英語教育において会話が軽視されたことを残念に思い、この点については、今後大学入試に英会話を取り入れれば、国際語である英語の会話を重視した教育の充実が見込まれると考える。他方、日本の音楽が発展し、特に本県には四百二十余の合唱団が有り、"合唱県"として各種コンクールで優秀な成績を収め、更には、これらの団体が海外演奏において必ず絶賛を博していることを非常に喜ばしく思っている。
【筆者紹介】
穴澤養一・あなざわよういち
明治三十五年 会津若松市に生まれる
昭和二年 東京慈恵会医科大学卒業
〃九年 同大学研究科終了・同大学講師嘱託
〃十五年 会津若松市に内科、呼吸器科、伝染病科専門の病院開設
〃二十一年 帝国女子医専教授兼附属穴澤病院長
〃三十三年 会津若松ロータリークラブ会長
〃四十三年 厚生大臣賞(公衆衛生に貢献)
〃四十四年 R・1) 353地区ガバナー 福島県文化功労賞(音楽)
〃四十五年 R・1) 353地区プログラムで、FMC合唱団長としてアメリカ演奏旅行(以後数回にわたり合唱団を率いて海外を訪間)
〃四十九年 勲四等瑞宝章
〃五十三年 第三回P・T・P世界大会(ロンドン)に日本代表の一員として参加
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