教育福島0149号(1990年(H02)09月)-007page

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ました。

何をする気も失って、ある時、じっと一人の重い障害児を抱いていたら、その子が、すばらしい笑顔を私に見せてくれました。その時私は、初めて、その子がこんなすばらしい笑顔が出来ることを知ったのです。それは正しく砂漠の中で宝石を見つけた思いでした。

この日から私は宝さがしの医療を始めました。それはアラを探し出して、何とかしてそれを改善しようとする努力を後まわしにして、まず子供たちの中にある宝物を発見することに努めました。それには、何も特別なことをせずに、子供たちと一緒に過ごす時間をできるだけ長くするようにしました。食事や入浴など、医療と直接関係のない時間も一緒に過ごしました。

こうして時を過ごすうちに、そこで見いだした宝物がびっくりする程多いのに気がつきました。何もできないと信じていた重い障害者が、実は沢山のことができることを教えられました。そればかりではなく、子供たちは、もっともっといろいろな事をしたがってさえいるのです。

何よりも嬉しかったことは、宝さがしの医療のほうが、アラさがしの医療よりも子供たちにとっても、私たちにとっても何百倍も楽しいということでした。

近代医学の進歩は医者同志でもびっくりする時代です。その反面、私たちのところを訪れる障害児の障害は年々重くなってきております。しかしどんなに重症の子供たちでも、一人一人立派な宝物を持っています。そして、そうした宝物には、いつも優しさとか、忍耐とか、喜び、時にユーモアといったこの時代に段々稀になってゆく品性が豊富に備えられていることには、本当にびっくりさせられてしまいます。

 

子どもたちと一緒に過ごす筆者(左)

子どもたちと一緒に過ごす筆者(左)

 

【筆者紹介】

湊治郎・みなとじろう

大正十五年 東京に生まれる

昭和二十四年 東北大学医学部を卒業

〃二十六年 医師となり、東北大学抗酸菌病研究所でハンセン病の研究をする

〃二十八年 国立療養所東北新生園、その後、沖縄愛楽園でハンセン病患者の医療(整形外科、リハビリテーション医学)に従事

〃四十四年 国立療養所西多賀病院に迎えられ、主として、筋ジストロフィー症、重症心身障害児の医療に携わる

〃五十五年 肢体不自由児施設福島整枝療護国(いわき市平上平窪)園長に就任、現在に至る

 

 

 


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