教育福島0149号(1990年(H02)09月)-025page
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心の底から恥ずかしい気持ちになったものでした。母親としての私自身も責められているような気がしたからです。
町の代表者の何人かの送別の言葉に屈託のない笑顔でうなずいている彼女の表情を見ながら、私は故郷へ帰って母親になった彼女の姿を思い浮かべていました。彼女が母親から受け継いだ大切なものを、今度は、彼女が子どもに受け継がせていくに違いありません。
爽やかな気持ちでこれからの彼女の人生に拍手をおくりたい気持ちでいっぱいでした。
(飯野町立飯野中学校教諭)
紙漉(す)き
高野兼一
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紙漉きをやっています。始めたばかりですから上手には漉けません。なんとか「紙」になったという程度なのです。牛乳パックを原科にして、そこからパルプを取り出し、玉葱の皮の煮汁で色と模様をつけ、葉書などを漉いています。
「紙」との付き合いが深くなったのは今年に入ってからなのです。ふとしたことから、安達町の上川崎和紙と出会ったのです。二軒残っている和紙づくりの一人、石橋さんの漉いた紙に会ったのです。これまでも少なからず和紙には興味がありましたから、旅先でその土地の紙など買い求めてはいました。しかし、地元の代表的な和紙である上川崎和紙とは、これまで付き合いはあまりありませんでした。このとき求めた紙が、「拓本採り」のときには私の描いたイメージをそのまま思い通りに碑面を刷りとってくれます。
そしてもう一つのきっかけは、「実践障害児教育」という雑誌が特集した養護学校などでの、牛乳パックからの再生紙づくりの活動例を見たことです。いつか機会があればやってみたいと思っていた紙づくりでしたので早速この雑誌をマニュアルにして始めました。
簡単に「紙」の恰好にはなったのですが、使える紙をつくるにはやはり時間と手間とをかけ、紙づくりに対する真摯な態度で臨むことが必要だと感じています。白石和紙の遠藤さんの工房には、「良質な紙を漉くには、息を整えて云々」と書いた紙が貼られていました。紙漉き名人といわれる人であっても、常に漉くときの心構えを忘れないようにとのことなのでしょうか。
「名酒の条件は、完璧な麹造りにある」と言われるようですが、このことは紙づくりにも通ずるような気がします。上川崎や白石の漉屋で見せていただいた楮(こうぞ)は、多くの工程を経て、紙になる直前には、それは滑らかで搗(つ)きたての餅のようでした。その精選された素材を名人芸の職人の手で漉かれるのですから、その仕上り品に日本人にしか出来ぬ「素卦な温もり、人間のあったかさ」が表現出来るのでしょう。
素材づくりの段階から丁寧に手間をかけて作っていくことによって、パルプは、牛乳パックから生れたことを忘れ、あたかも生命を与えられたかのように生き生きと動き出してくるのです。
そして漉き枠の中に入ってからも自由気儘に泳ぎまわるのです。
素材がうまく仕上っても、漉くのが下手ではどうしようもありません。まだまだ私は修業途上の身ですが、漉いた紙が、「これ、和紙ですか?」と言われると意欲が増し、色をつけたり、押し花を漉き込んだりして工夫が重なっていくのです。しかし、これで満足はしていません。奥の深い紙漉きの道が続いています。手漉き和紙の持つ、あの独特の肌ざわり、あの風合い、外の国にはない美しさに近付いてみたいのです。
漉き箱の中を泳ぐ精(こま)やかな虫みたいなパルプを相手にして、「紙漉き」という名の水遊戯(みずわすら)をしているこのごろです。
(県養護教育センター事務長)
へき地教育の楽しさ
渡辺敏幸
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水温十六度、気温十八度、間もなく夏休みに入るというのに……
「気合いを入れて頑張るぞ」
というキャプテンのかけ声に、水泳部の子ども達の顔がぐっとひきしまる。
ここは、茨城県との県境、阿武隈山系の南端、標高六百メートルに位置する学校のプールである。
二年前、私は、全校生およそ五十名の本校に着任し、三、四年、十三名を担任することになった。複式学級は初めてであり、発達の異なる二学年の指導がうまくいかず、子ども達の瞳の中に、「わからない。できない」という
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