教育福島0149号(1990年(H02)09月)-031page
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この作者は、福祉作業所で働く脳性まひ者で、全身の力をふりしぼって口頭表現したものをボランティアが書きとったものだそうです。読者各位にはどんな感想を抱かれたでしょうか。能率はあがらないかもしれないが、働きたい、働きながら社会参加したいという強烈な主張の息づかいが伝わってはこないでしょうか。
三年前の暮れに精神薄弱者施設「信楽学園」の創設者池田太郎氏が急逝されましたが、その時、次のようなメモを携帯しておられたと聞いています。
三十五年間の教育者としての池田の心にはっきりしてきたこと。どんな状態の障害者も、次の四つの願いを持っている。
○働きたい。
○無用の存在でなく有用の存在と思われたい。
○みんなといっしょにくらしたい。
○楽しく生きたい。
この四つの障害者の願いをかなえてやることが、われわれの使命であり、義務である。
池田氏の挙げておられるこれらの願いは、働きながら人と交わる生活を通して、はじめてかなえられるものであることは確かです。
三、障害とは何か
昭和五十二年十二月の国連総会で採択された「障害者の権利宣言」の中で、障害者とは、「先天的か否かにかかわらず、身体的又は精神的能力の不全のために、通常の個人又は社会生活に必要なことを確保することが、自分自身では完全に又は部分的にできない人のこと」と定義されています。これを更に具体化したものが、世界保健機構(WHO)が示した「国際障害分類」です。この分類によれば、従来、障害として漠然と呼んでいたものを次の三つのレベルに分ける考え方を基本としています。
(一) 機能・形態障害(impairment)
なんらかの原因により疾患にかかった状態になり、脳をはじめとする身体のいろいろな器官のどこかに好ましくない形態上の変化がひき起こされたり機能が正常に働かない状態になることをいいます。WHOの定義では「心理的、生理的、又は解剖学的な構造又は機能のなんらかの喪失ないし異常である」と述べられています。
(二) 能力障害(disability)
機能・形態障害の結果として生ずる障害です。WHOの定義では「人間にとって正常とみなされる方法ないし範囲で、活動を遂行する能力の制限ないし欠如である」と述べられています。
(三) 社会的不利(handicap)
機能・形態障害や能力障害の結果として、その個人に生じた不利益であって、具体的には、就学、就労、文化・レクリエーション活動などの機会が障害によって奪われたりすることをいいます。WHOの定義では「その個人にとって(年齢、性、文化的社会的要因にてらして)正常な役割を遂行することを制限あるいは妨げるもの」と述べられています。
WHOの障害概念では、失明や手指の切断などの疾患が、すなわち機能・形態障害となり、それが原因となって能力障害(損傷や欠損等によって、以前にできたことができなくなること)が生じ、その結果、社会生活上不当な制約を受けるもの、ということができます。
WHOが、障害の概念に社会的不利のレベルまで含めて定義したことは、極めて重要な意味を持っています。つまり、心理的障壁(障害者に対する偏見等)や、物理的障壁(建造物、交通手段等)を、社会の側が取り除く努力を誠実に積み重ねていけば、その改善状況に応じて障害は軽くなっていくことを明らかにしているのです。
四、心身障害児の社会参加・自立
心身障害児が可能な限り社会参加・自立を図るためには、機能・形態障害、能力障害、社会的不利を克服する努力を一生涯続けなければなりません。学校教育は、そうした克服への意欲と態度を育て、卒業後も持続させる力を養うことを目指すものであり、心身障害児の社会参加・自立の実現に果たす役割は非常に大きいといえます。
(一) 自立的な力
自立的な力を身につけ、自立的に生活してほしいと願うのは、心身障害児だけに限ったことではありませんが、心身に障害がある場合、自立的な力に弱さがあるために、その力の高まりを強く願わずにはいられないのが実情です。
一般に、自立というと「自力で生計を立てること」「自立し独立すること」などと解釈されていますが、実際にはもっと幅広い概念であり、いろいろな水準の自立の意味が含まれています。たとえば、子どもの発達段階によっても、自立の水準は異なります。
つまり、外界に自分から働きかけることができなかった子どもが、日の前のおもちゃに手を差し出すようになることも、自立的な方向への発達を意味しますし、人の手を借りずに、食事をしたり、用便をすることができるようになることも、もちろん自立的な力の
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