教育福島0150号(1990年(H02)10月)-021page

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随想

日々の思い

 

こども達からのおみやげ

古河好道

 

三人のこどもがいる。男二人、女一人である。

 

三人のこどもがいる。男二人、女一人である。

長男が生れて八か月目の正月、妻の家に行った。込んでいた列車の息苦しさに堪え兼ねたのか、空腹だったのか突然大声で泣き出した。列車の中で人目を気にして母乳を与える妻、むしゃぶりすう子の姿をみることになった。この長男が先年婚約者を伴って帰省した。当家の墓地につれていった。二百七十年前の墓石が残っている。

二男は双生児としてひ弱に生れた。一方の子は誕生日をむかえることなく世を去った。ただ元気に育ってほしいとの一心でこの子を育てた。動作がのろまで体育はまったくだめ。入学の時から山につれていった。運動能力の劣った子でも歩くことはできるだろう。現在も山歩きをしている。

娘はあまえっ子の代表のような育て方をした。音楽が好きという言葉に、ピアノを与えた。もともと音楽環境の薄い家系の中である。高一のとき以来ピアノにカビが生えている。学生時代の正月、借着の着物で写真を撮り、「これが私の成人式よ」と負けおしみで言っていたっけ。

小学校六年、四年、一年と三人が同じ学校に通っていたときのことである。父親参観日の案内を私にみせながら「明日は来ない方がいいんだよな-」と長男の言。「来たってしょうがないよ」と二男。娘はちがった。「明日は絶対来てね」内心「日曜日ぐらい休ませろ」と思っている私にむかって、妻までも言葉を重ねてきた。「一年に一度ぐらい子どもの姿を見てきて下さい」

妻にむりやり追い立てられ、しかたなしに子ども達の教室をのぞいた。男二人、手を挙げない。娘は後の私の姿ばかり気にしている。午後の球技大会に出場したあと、家で足を投げ出しビールをのんでいる私に「要するに来て失敗だったでしょう」と男二人。「ビールついであげるね」と娘。この頃になると男は父親を超えようとするのか、にくらしさとたのもしさを併せもつ気持ちにさせられたことがあった。

明治二年に建てられた家は古い。先日長男が帰ってきたとき設計図をもってきた。妻と彼が検討している。話し合いが長いのでその間にはいっていくと、長男曰く「設計料はいらないよ」

結婚後はじめての帰省に、おみやげに迷っている嫁に、二男坊は「犬でも買っていこうよ」本当に犬を買ってきた。今、妻は退屈しない。そのポメラニアの方が私より大切らしい。

「外国に行くの、おこづかいを貸して」娘が言っている。返してくれたことはない。しぶる妻にむかって「出してやれよ」は常に私の言。ビールの代りにワインがおみやげ。「肩をもんでやるね」と背に回った娘のゆび先が、「返さなくてもいいでしょう」と言っているように感じる。

ことしで定年をむかえる。還暦をむかえる。没落した家系の常とする素質を多分に持っている私だが、この子達にはそれは残したくない。しかし、今までに与えてきた心の財産は何だったろう。結局人並み以下の父親だったのだろうか。

子供達は母乳で育った。

(いわき市立平第三小学校主任主査)

 

T君との出会いそして別れ

 

T君との出会いそして別れ

佐藤るり子

 

四月、入園時の朝は、日を輝かした園児がはちきれるような元気な声で幼稚園の玄関にとびこんできます。中には不安と怖れを抱いて登園する園児もいるけれど表情の端々には園に対する期待と喜びが見えています。

しかし、七年前に出会ったT君は私の保育者としての生活の中で初めて経験する異質の子でした。いつも暗く沈んだ目に笑顔のほとんどない子でした。

楽しげに遊びに興ずる園児の輪の中

 

 

 


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