教育福島0150号(1990年(H02)10月)-024page
子どもたちからの贈り物
白鳥敬子
「モー」という牛の鳴き声、小鳥のさえずりが朝ののどかな雰囲気を作り出す。ここは、阿武隈山地に位置する豊かな自然に恵まれた山村である。
現在、私が担任しているのは一年生。教員となって初めての経験である。
入学式の日、十三名の子どもたちの小さな瞳が、一斉に私に注がれる。今まで、何度も同じような出会いを経験してきたが、今年ほど子どもの目の輝きに感動したことはない。あふれるほどの夢と希望を持ち、生き生きと生きているからなのであろうか。私は決して、この輝きを失わせてはいけないと感じるとともに、教師としての責任の重大さを感じた。こうして、不安と期待を持ちながらも一年生との新しい生活が始まったのである。
入学当初は、一時間どうやって授業に集中させるかが私の課題だった。授業が始まると十分ぐらいであきてしまい、おしゃべりをしたり机の中の物をいじりだす。授業中、一人の子がトイレに行くと、ぼくも私も…とみんなが席を立ってしまい、ふと気がつくと教室には二、三人の子どもしか残っていない。中・高学年を持つことが多かった私にとって、信じられない行動をとるのが一年生である。
算数の授業などでも、言葉を精選しできるだけわかりやすく何度も繰り返し説明するが、「先生のいうことはむずかしくてわからない」とあっさり言われてしまう。教科書を開かせても、「これでいいの?ぼくのも見て」と言われ、ひとりひとりの子どもを全員確かめてあげなければ子どもは満足しない。悪戦苦闘の毎日である。
しかし、子どもから教えられることも多い。中・高学年の子ども達と違い一年生は体ごとぶつかってくる。休み時間になると、両手をひろげ抱きついてくる子ども、背中におんぶしてくる子ども、中には私の顔にほっぺたをこすりつけてくる子どもさえいる。私には一歳半になる子どもがいるが、泣いているときに抱きあげるとそれだけで子どもは安心し泣きやむ。母親の愛が子どもに伝わるのだろうか。それと同じ状態が一年生の子どもと私の間にも作られる。教師が子どもの体にふれることにより、子どもはある種の安心感を持つことができ、私との距離がぐっと縮まる。母親になる前は感じることができなかった子どものあたたかいぬくもりが、私の体に伝わってくる。この豊かな自然に恵まれた環境が清らかな心を育てているのだろうか。
子どもたちが私に与えてくれたこれらの尊いたくさんの贈り物を大切にし、これからも子どもと共に成長していく教師でありたい。
(船引町立椚山小学校教諭)
夏の熱い想い出
松本廣美
甲子園出場をかけた今年の本県高校野球大会も、熱戦につぐ熱戦を繰り広げ、決勝戦は劇的な幕切れとなった。真摯でハツラツとしたプレーを見せてくれた高校球児諸君に心から賛辞を送りたい。
私はこれまで県下の各球場で数々のドラマを観てきた。昭和〇〇年熱海球場でのF高対S高の戦い。両投手の好投とバックの好守で零対零のまま九回裏、S高は二死ながらランナー三塁のサヨナラの場面、野手の表情に緊張が走る。鋭い当たりが遊撃手の左に飛んだ。一瞬息をのむ観衆と応援団。さっと飛びついたグラブから無情にも白球がこぼれ落ちる。どっとあがる歓声とため息。
F高の選手達が球場外の土手で放心状態でジュースを飲んでいる。背番号六の選手は皆から一人離れうなだれ、ジュースを飲もうともしない。その肩を監督がたたく。選手の一人一人が優しくたたく。彼は肩をふるわせ涙をこらえている。
昭和○〇年M高対A高。開成山球場・三対三のまま延長戦へ。十一回裏A高一死三塁、スクイズバントが投手の右に転がりきわどいタイミングながら一瞬セーフ。サヨナラゲームとなった。
その瞬間、ホームベースに伏して泣くM高の捕手。A高の捕手がベンチからかけ寄り、抱き起して試合終了のあいさつに並ぶ。
昭和○〇年信夫ケ丘球場。T高対H高。一点を争う白熱したゲームとなった。九回表、T高が三点を取り試合は決まったかに見えた。しかし、その裏H高は連打で一死満塁、球場は興奮のるつぼと化した。
H高の五番打者が強振した打球が背走する中堅手の頭上を抜けていく。三人のランナーがホームベースを踏んだ。打球を追った中堅手が芝生のグランド