教育福島0150号(1990年(H02)10月)-025page
に倒れたまま立ち上がることができない。左翼手と右翼手がかけ寄り、なぐさめ、はげましホームベースに並んだ。
高校球児たちよ、君たちの汗と涙と砂にまみれた姿は尊い。三無主義(無気力・無責任・無関心)とか、暴走族のあふれている現在の世相にもっとも無垢な精神とうつる。
高校球児たちよ、君たちがこの三年間に培った克己、思いやり、信頼、友情の輪は深く強く、試合に敗れたとはいえ人生の敗者にはならない。
(広野町立広野中学校教頭)
白い招待状
板橋憲一
教員になって三年目の四十余年前のことです。
母宛に一通の同級会の招待状が届きました。母は、その三か月前に他界しどうしたものかと迷っていましたが、つい、そのままにしてしまいました。
その当時は、私達兄弟姉妹は両親もなく、明日の食物をどのようにして手に入れたらよいか必死になって生きなければならない日々のくり返しでした。
終戦直後の時代だったため、招待状のことは、すっかり忘れてしまっていました。二週間ばかり経った頃、見知らぬ人の手紙が母宛に届きました。
それは、母の教え子のひとりからで、都合は、いろいろおありのこととは思うが、先生の姿がないのは、教え子として寂しい限りであり、よその組の人達は恩師を取り囲んで、学校時代のことを喜々として話をしているのを横目でみて、私達のグループは、ぼそぼそ話しただけであったことなど、めんめんと綴られていたのです。
今年も盆が近づくと、同窓会、同級会などの招待状が届きます。厄年だとかに当たるときは重なって、断るのに苦労しますが、長い教員生活にとって教え子から同級会、結婚式への招待は教師冥利に尽きるものです。
宴がたけなわになり、会場のあちこちで話が盛りあがり歓声が聞えてくると、ふと、四十余年前に届いた招待状とその手紙のことを想い出すのです。
今でも、できたなら、その席に代理でもよいから出席し、親しく語らい教師と教え子のいつまでも、たえることのない人間関係を大切にしたいと、盆がくる毎に想いを新たにする此頃です。
記録的に暑い夏が遠ざかろうとしています。母への想いと豊かな生活をふり返って今昔の感にひたりました。
(県立会津養護学校教諭)
親の気持ち
荒川文雄
数年前、ある父兄から、こう言われたことがあった。
「先生は、まだご結婚なさってないし、お子さんもいらっしゃらないから、親の気持ちがよくおわかりにならないこともおありでしょう」
そのときは、
「そうですね。でも…」
と、なにか言い訳をしたような記憶がある。それ以来、何となく気にかかっていた。
しかし、友だちや先輩から、
「親になって、考えが変わったよ」
と言われても、そんなものかなあぐらいに思ってきた。まあいいさそのうちわかるだろうなどと考えていた。
自分の娘が生まれたとき、人形みたいな小さな手に指が五本ついて、しかもそれが動いているのを見て感動した。
娘が立って歩いたときは、うれしかった。十歩歩いたといっては喜んだ。片言で話すようになったときは、胸にジーンときた。
子育ての苦労は、主に妻や家族にまかせてしまっているが、それでも育児の大変さをちょっとは経験している。
親になるというのは、こういうことなんだなと少しわかったような気がしたものである。うれしくなって、
「いやあ、娘が生まれて、考えが変わりました。親の気持ちが、少しはわかったような気がします」