教育福島0150号(1990年(H02)10月)-027page
ことの多い夏だった。
(高郷村立高郷中学校教諭)
分校のお昼どき
梅宮ミノリ
四校時の終わりのベルを合図に、
「腹へったなあ」
と、弁当を持って子どもたちと先生が、職員室に集まって来る。分校の昼食時である。私は、わかめと豆腐の味噌汁をめいめいのおわんに分けながら、
「きょうは、S君が持って来てくれたんだよ。ありがとうね」と言う。
「あしたは、私だね」とMちゃん。
月火水金は交代で家の畑で取れた野菜を刻んでもらい、持って来る。春は、わらびやうるい、えら、秋はなめこやまいたけ、しめじなど山の幸がたっぷり入っている。木曜日はカレー曜日とし、父兄の負担でくだものや必要な物を買うことにしている。
私が分校に赴任した年は、二年生一名、三年生二名それに私を加え四名のお昼であったが、二年目から子どもが増え、星先生を迎えてぐんとにぎやかになった。四年目の今年は十二名である。
分校のお昼はあたたかい味噌汁やカレーで話もはずみ、みんなが楽しむ。子どもたちの話題は、隣のおばあちゃんが入院したことその他の村の情報、テレビのことなどいろいろである。星先生もこの時とばかり、ふだん困っていることなどを外国の話にたとえて、「アメリカの学校でね、宿題や日記を忘れて来る子がいて先生が困っているんだって」
と四年生のY君をちらりちらりと見ながら言う。Y君は、
「ぼくは持って来てるもん。アメリカの子どもだよね、先生」
と念を押す。みんなアハハハと笑う。
今年は、星先生の提案で稲作りに挑戦しているため、草が生えたから取らんなんねべえとじいちゃんが言っていること、一本植えはだめだべえと言っていること、虫がついているから消毒した方がいいべと言っていることなど、家の人が分校の田んぼをいろいろと心配している話題が多い。また、東京や大阪、アメリカで酸性雨が降り、コンクリートが溶けてつららのようになるというショッキングなニュースもみんなを驚かす。
子どもたちの住む戸赤は緑がいっぱいで空気がおいしい。私は、時々「耳をすましてごらん。どんな音が聞こえる」と言う。『正一さんの耕運機の音、川の音、カエルの鳴き声、うぐいすの声、種まきぜみの声、キツツキが校舎をたたく昔』たくさんの音がシーンと静まった子どもたちの耳に快く入ってくる。星先生は、分校の前の川でイワナを手づかみでとって驚かす。中には、二十センチ以上もある大物もいる。
「緑がいっぱいで、何と言っても戸赤はいいねえ。みんな幸せね」
「うん」と大きくうなづき、胸をはる。
私は、子どもたちと会話し、『ふるさと』や三十数年前に沖縄の学生に教わった『てんさぐの花』を歌う時がいちばん幸せである。分校の子どもたちを思うやさしい父兄と村の人々に感謝しながら山道を通勤している。
(下郷町立楢原小学校戸赤分校教諭)
M君の活躍に思う
蓬田郁子
教員になるずっと前、同級生数人で小学校の恩師であるH先生を訪ねたことがあります。小学校卒業以来はじめてお会いしたのですが、H先生は
「私たちクラス全員の名前を覚えている」
とおっしゃって、一人一人の名前を言い始められたのです。二十年も前に受け持った子どもたちを一人も忘れていない先生に、私たちはいたく感激して帰ってきたのを覚えています。
八月のある日、何げなく新聞を見ていたら、ふと見覚えのある顔写真が目に止まりました。もしかしたらと思ってよく見たら、確かにあのM君なのです。「中学陸上競技東北大会、八百メートルで優勝」との記事にびっくりしてしまいました。
私は新採二年目の時は、いわき市のある山奥の分校に勤務していました。複式学級の担任だったとき、受け持った三年生の中にM君がいました。わずか十六名の分校児童の中で、運動が得意な子ではあったけれど、まさか東北