教育福島0150号(1990年(H02)10月)-046page

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教育福島0150号(1990年(H02)10月)-046page


ふるさと探訪

県指定重要文化財(歴史資料の部)

陸奥国信夫伊達惣検地高絵図屏風(一双)

この屏風の絵図は、福島代官国領半兵衛が寛文十一年(一六七四)から延宝二年(一六七四)にかけ実施した検地の村高を示す。それは主として阿武隈川左岸地区を図示した半双と、同川右岸地区を図示した半双とからなる。

国領半兵衛はこの検地終了後、この扉風絵図を描かせ、福島代官を離任するとき安齋家に下賜したと伝えられている。絵図は信夫郡の部分以外は、阿武隈川を絵図の下端に図示し、それぞれの地区を扉風面におさまるよう実際の形を変えたが、彩色等で区別した各村々、その相対的位置及び主要な集落をかなり正確に描写し、一里塚を配した奥州道中を含む主な交通路、河川、用水路ともどもこの検地時の様子を示すとみられる。

絵図記載の村高は、おおむね長方形の金紙に、石以上で村名と共に併記して貼付されている。古いために、それが剥落した村もあり、それをあとで補足したとみられるもの、貼付の位置を間違えたもの、村高を書き違えたもの等もあるが、それらはこの絵図の信感性をひどくそこねるものではない。この検地時の村々高帳が現存しない今となっては、この村高のみでも有用であろう。

絵図の阿武隈川は月輪経由の流路を通り、保原付近の古川筋等には大きな河跡湖も図示され、その流路の変動を窺わせ、福島河岸以下では通船の状況も表示している。明治初年の福島村差出帳で「年来相立何分相分り不申候」とされた福島陣屋の陣屋敷、御城米船積場も読みとれる。これらの諸点からみて貴重な資料とみとめられる。

半双(阿武隈川左岸地区)部分

半双(阿武隈川左岸地区)部分

半双(阿武隈川右岸地区)

半双(阿武隈川右岸地区)

半双(阿武隈川左岸地区)

半双(阿武隈川左岸地区)


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