教育福島0151号(1990年(H02)11月)-028page

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か、などと思わないわけではない。しかし、今挫けたら、自分が成長するどころか、中途半端な人間になってしまう。不安の中で、それだけが私を支えていたように思う。

そんな私に、教師になって良かったと思わせてくれる授業があった。去年の冬、三年生の現代文で鴎外の『舞姫』を取り上げた時である。豊太郎に頼りきり、彼を悩ませ、しまいには狂ってしまうエリスが、私は好きになれなかった。勿論、心から人を愛することは大切だと思うし、時代や環境を考えれば、エリスを否定することはできない。けれど、今という時代に生きている女性であれば、いろんな面で自立した上で、相手の立場を尊重できる愛し方をすべきではないのか。私の個人的意見だけどね、と前置きをして、そんな余談をした。そのひとことから、入試前にもかかわらず、いや、たぶんそういう時期だからこそ、自立や仕事や恋愛という問題を、生徒たちは自分自身のこととして真剣に考えてくれた。さまざまな意見が出た中で、私はひとりの女子生徒に「先生の愛し方は人間らしくないと思う」と言われたのである。その人が好きなら、自分のその気持ちを何よりも大切にすべきだと彼女は言う。確かに、若いからこそできる考え方かも知れない。が、私に面と向かって自分を伝えようとしている彼女の姿勢が心地よかった。強がるだけの自分や、すっかり忘れていた素直な自分を指摘された気がした。

本当の人間らしい愛し方なんて私にもわからない。でも、あの『舞姫』の授業から、私はもう一度素直になって自分の生き方や愛し方を考えている。

仕事を愛すること。人を愛すること。自分を愛すること。教師としても人間としてもまだまだ半人前の私は、これからもいろんなことを悩み続けるのだろうと思う。生徒にとっては、はなはだ頼りない教師かも知れない。けれどそんな私だからこそ、生徒と一緒に悩んだり考えたりしながら、彼女たちに負けないくらい成長していく姿を見ていて欲しいと思うのだ。だから、もうしばらくは、友だちの吉報を聞いても笑っていられそうな気がしている。

(県立原町高等学校教諭)

 

「先生、待ってるよ」

橋本礼子

 

「どうせ先生は、おれたちが卒業するまでみててくれないもんな」

 

「どうせ先生は、おれたちが卒業するまでみててくれないもんな」

ギャングエイジといわれる四年四組の帰りの会のことである。それまでざわついていたのが、この一言で水を打ったように静かになった。子ども達は、大きく目を開き、そして、不安そうに私の顔を見た。

 

ことの起こりは、二日前まで遡(さかのぼ)る。「授業中、先生はあまりふざけないからおもしろくない」

「おもしろくなったと思ったら、すぐにまじめな話になるからいやだ」

これから三校時の挨拶をしようした矢先のことだった。私が教室に入って行くのを待ち構えていたかのように、子どもたちの口から、ポンポンと手厳しい意見が飛び出した。私は胸がドキドキしながらも、子ども達の本音を一つ一つ頷きながら聞いていた。すると落ち着いてきたのか、チャイムが鳴る頃には、「授業中ふざけて騒いでいては勉強ができない」という意見が大勢を占めるようになっていた。しかし、「授業おもしくね」と騒ぎ出した威勢の良い男の子達は、まだ不満の色を残していた。私は、その顔を見ながら考え込んでしまった。

大学を卒業して七か月。もちろん、この小学校が初めての赴任校である。新米教師ということもあってか、子ども達は、授業中、休み時間を問わず、何でも私にぶつけてくれる。兄弟げんかのこと。好きな子の話から、先生のここが変だとか好きだとか。一つ一つ話を聞いていると、子ども達は満足そうな顔をして帰っていく。しかし、この日の授業は違っていた。子ども達は日々に言いたい放題言いながらも、何か、言葉に表せないでいた。おこったように、口をとがらせながら--。

それから二日間、どうもしっくりしないまま金曜日の帰りの会を迎えた。そこで出たのが「卒業」の言葉だったのである。切羽詰ったような男の子の声に、私は、「ああ、そうだったのか」と深く頷いた。子ども達が言いたくても言い表せなかったもの、それは、とてつもなく大きな、大きな不安だったのではないだろうか。私は、そのことに気づけなかった自分を悔いた。

 

いつもと変わらぬ土曜日の朝。子ども達は何事もなかったかのように、教科書を開いていた。

「先生、今度はおれたちが待ってるよ。いつも待っててくれたもんな」

理科の時間、思い違いをして戸惑っている私に、子ども達の声。思いがけな

 

 

 


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