教育福島0151号(1990年(H02)11月)-031page

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あたたかい言葉は、あたたかい見方をする心から生まれる。人を思いやる心、人を認め大切にする心だと思う。よい人間関係を作るためにも、子供を伸ばすためにもあたたかい言葉をかけることの大切さを思う。

(会津坂下町立坂下小学校教諭)

 

自然とのかかわりを通して

菅原秀司

 

三十一名の子どもたちと一緒に舟津の浜山公園まで出かけることになりました。

 

つい先日の九月二十八日は『自然学校』がありました。私も一年生から四年生までの総勢三十一名の子どもたちと一緒に舟津の浜山公園まで出かけることになりました。

自然が好きで野草については多少の知識があると自負していた自分でしたから、道々

「あれはなあに」

「これはどうして」

と聞いてくる一年生たちに一生懸命説明したりしながら歩いていました。

ところが、浜山公園に近づくにつれて、むしろ子どもたちの方が私に詳しく説明してくれているのです。

「ネコジャラシは指の間に挟んで引張ってハリネズミを作るんだよ」

「ガマの穂は槍投げの槍にするの」

「トリカブトの花はきれいなんだけど根っこには毒があるんだよね。花にも毒があるのかなあ」

「あそこの堰堤(えんてい)のわきにある側溝みたいなのは、湖の魚が卵を生みに川を上ることができるように作ってあるんですよね」

と次から次へと説明が続きました。

いよいよお昼です。舟津公園に着き担任が後始末などについて説明していると、二年生のK子ちゃんが、

「私たちがちらかしたんじぁないけどあき缶やゴミがたくさん落ちてるね。この前、夏休みが終ってすぐ皆で舘浜のゴミ拾いをしたけど、今度はここのゴミを拾えばいいね」

と言い出したのです。普段より活発に反応する子どもたちの様子がとても好ましく思われました。

今、学校では『生活科』の実施に向けて具体的な指導計画作りに追われています。でも、「近くに公園がなくてねえ」

「公共施設が少ないし、お店やさんなんかもそろっていなくて困るな」

ということで作業が滞ることが多いのです。ややもすると表面的な知識の伝達に陥りがちだった従来の低学年の理科や社会科の指導観からの発想の転換ができないでいたのです。

でも、今回の『自然学校』では、公共施設などがなくても、子どもたちの生活に即したさまざまな活動や体験を通して、自分たちとの関わりにおいて社会認識の芽を育てたり、生活習慣や技能を身に付けたりすることができるのだとということや、豊かな自然が子どもたちに強く働きかけるのだということが分かりました。

学校や地域の特色を改めて考え直してみると、この湖南の地は何と恵まれていることでしょう。

これからは、木枯しの中で春を待つ冬芽を探したり、こたつで昔話を聞いたり、みっちりと積もった雪の畑から冬囲いの大根を掘りおこしたりしながら

「どうしてなんだろうなあ」

と、子どもたちと一緒にさまざまな事柄にこだわっていきたいと思います。

(郡山市立三代小学校教頭)

 

褒められた喜び

小野靖子

 

た。今風に言うと、かまいやすい「いじめられっ子」だったのかもしれません。

 

遠い昔のことになってしまいましたが、小学校に入学した頃、私は人前に出ることがとてもいやで、話をしたり、本を読まされたりすることは大変勇気のいることでした。だから、授業で呼名でもされたものなら震えて声も出せない状態で真赤になったり、また朝会等では整列していると、前後の人に小突かれたり、押されたりしてよろよろしては、その度ごとに、めそめそと泣いてばかりいました。今風に言うと、かまいやすい「いじめられっ子」だったのかもしれません。

やがて中学校に入学し、教科ごとに先生も異なり、友達も多くなり環境がまるで変ってしまいました。担任は女の先生で、とても優しく、熱心な音楽担当のS先生でした。ある日、音楽の授業で一人ずつ歌うテストがあり、私がみんなの前で歌い終った時、驚くほ

 

 

 


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