教育福島0151号(1990年(H02)11月)-033page

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らない。

結末を言えば、アレックスは殺され、一件落着とばかりに幸せそうなダン一家の写真がクローズアップになってこの映画は終わる。しかしなんとこの写真がうすっぺらに見えることか。今お話ししてきたような視点で映画を見るとすれば、最後に映される一見温かそうな家族写真はあまりに突飛すぎる。うそっぽいのだ。これを現代の家族関係の希薄さの象徴と読むのは、殺されたアレックスに同情を感じてしまう私の深読みだろうか。

(県立美術館学芸員)

 

数年ぶりの一勝

齋藤修

 

では耳なれないと思われるこの会話が、檜枝岐中学校ではあたり前なのである。

 

「先生、今日の部活動はどこで、何をやりますか」普通の中学校では耳なれないと思われるこの会話が、檜枝岐中学校ではあたり前なのである。

野球部員は一、二年生全員で九名、一名欠けただけでも練習内容が変わってくる。「どこで、何を」は当然になってくる。

檜枝岐中学校は全校生二十七名、一つ一つの行事に全員で取り組まなければ行事が成り立たないという状況であり、そのため生徒が一人で何役もこなし、部活動の時間帯も当然変則的になる。特に九月、十月の中体連の時期は大変で、短学活終了後、最初に野球部とバレー部の練習を、続いて合奏部、更に陸上部の練習と続く。

秋の日没は早く、一人が何役もこなしながら、この限られた時間と人数の中で生徒たちは、自分の目標を持ち、一生懸命取り組んだ。

野球部は中体連に出れば負けるという弱小チームではあったが、一生懸命練習に取り組む生徒たちを見て、ぜひ一勝をさせてやりたい、勝つ喜びを生徒たちに味わわせてやりたいと考えるようになってきた。

初めはろくにキャッチボール、素振りもできなかった一年生も、とにかく手取り、足取り指導していく中でどうにか形になってきた。

夏休みの練習でこんなことがあった。野球場に行ったら二人の生徒がキャッチボールをしていた。「他のみんなは?」私が聞くと「H君は用事があってこれないそうです」「I君はスキーの合宿でこれないそうです」「先生、他のみんなは何やってんだべな-」生徒二人、教師一人、計三名の練習というのも何日かあった。

十月十一日、試合当日。とにかく練習したことをすべて出して楽しんで野球をやろう。みんなの意見がまとまった。

「気合いを入れて-さぁ、はりきっていこう!」試合は進み三点リードでむかえた六回の裏、エラーが出て同点にされてしまった。最後の回こんなことを言った。「暑い中、野球場を三〇周も走ったのは何のため?」「一五○本ノックを受けたのは何のため?」・・・「よ-し、やるぞ」主将の一言で生徒たちも燃え、三点を取り返し、試合は最終回で決着がついた。その瞬間、自分が現役でやっていた時とは違ったなんとも言えないうれしさがこみ上げてきた。帰りのロッカールームでみんなで一勝を祝して万歳をした。「バンザ-イ、バンザーイ」「先生、俺ら-勝ったんだよな-」生徒のあの言葉は、いつまでも忘れることができない。

今、生徒と共に「数年ぶりの一勝」の喜びにひたりながら、文化祭の準備に燃えている。

(檜枝岐村立檜枝岐中学校教諭)

 

E子ちゃんの笑顔

山下道子

 

リレー、ままごとなど、どの子もどの子も、自分の遊びに目を輝かせています。

 

「おはようございます」今日も元気に登園する子どもたち。明るい笑顔であいさつを交すと、着替える時間ももどかしそうに、砂遊び、サッカー、リレー、ままごとなど、どの子もどの子も、自分の遊びに目を輝かせています。

ままごとのケーキ作りをしているグループの中に、屈託のない笑顔で友達と話しているE子ちゃん。そんな笑顔のE子ちゃんも、一年前は登園を嫌がって泣きながら一緒に登園する毎日を送っていました。

「E子ちゃん着替えようね」「お外に行ってみようか」…早く何と

 

 

 


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