教育福島0151号(1990年(H02)11月)-037page

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おりました。

知事に就任した翌年の昭和五十二年に県の長期総合計画を策定いたしまして、その中に県民の文化の向上を盛り込んだ訳でございます。

司会 「文化を考える県民会議」を設置したのもこの年でございましたね。

前知事 ええ、そうです、現知事さんにも当時青年会議所の立場からメンバーになっていただき、この会議で本県の文化の現状を見直していただいて、十項目の提言を受け、それを具体化するため「文化振興会議」を設置しました。

こうして新しい文化行政がスタートした昭和五十四年を「文化元年」と位置づけた訳でございます。

司会 それでは佐藤知事さんから、「県民会議」「振興会議」に携わっていた時の印象を伺えますでしょうか。

知事 まず、博物館四周年にあたりまして、松平先生と館長さんと対談できますこと、私光栄に存じます。

昭和四十八年に石油ショックがあって、経済問題だけでは世の中うまくいかなくなってまいりました。

そういう中で、我々の文化の未来に向けて考え直そうという動きが起きてきた訳でございます。

未来を考える場合、まず伝統や歴史に立脚して考えなくてはということで、福島の伝統文化から考え始めました。その時に、それぞれの地域の文化を掘り起こそうということで、県内の青年会議所が研究した論文を小冊子にまとめることになりまして、高橋富雄先生にもおいでいただき、昭和五十二年に「福島を考える」という本を出版いたしましたが、その年に県民会議に参加させていただきました。その会議では、文化とは何ぞやから始まりまして、結局十項目の提言にまとめた訳でございます。

現在の文化に関する施策は、その提言の方向で、県政の中で展開しているというのが実情でございます。

司会 次に「福島県文化振興基金」について、創設に取り組まれた松平前知事さんいかがでしょうか。

前知事 そうですね。提言を受けて昭和五十四年に文化振興基金を創設し、この基金の果実である利子で、毎年二百八十件位の文化活動等に助成した訳です。このほか、「文化のための一パーセントシステム」、「福島県建築文化賞」、「緑の文化財」の制定によりまして、段々と文化的な福島県を形づけたいと思った訳です。

司会 館長さん、前知事さんの文化行政に対する感想をお聞かせください。

館長 まず最初に私は博物館の四周年と入館者百万人を記念して、両知事さんがお揃いで会津の地で座談会をもっていただいたことに皆さんと一緒に感謝申し上げます。

前知事さん御本人の前ですが、文化を目に見える形で、外に誇れるものを御自分の中から、御自分の手でもって作り、それを県民に提供できる方はめったにいらっしゃらないと思います。

そして佐藤知事もそれを真っ直ぐ受け継がれている方であり、お二人に感謝し、尊敬しているのです。

 

2、県立博物館の現状と今後の運営

 

2、県立博物館の現状と今後の運営

 

司会 まず、前知事さんから博物館の建設地の決定までのいきさつについてお聞きしたいと思います。

前知事 博物館の場合、古い歴史と伝統のある会津若松につくるのは一般の県民の方の意識にあったんだと思う訳でして、会津若松につくったのは正解だと思っています。

それから、高橋先生に館長をお願いした時先生が、「会津だからお引受しますよ」とおっしゃった訳です。

館長 そうでないと申し上げる訳にはいきません。(笑いと拍手)

司会 前知事さんは、前触れもなく館の建築現場に度々足を運ばれたこともあるそうですね。

前知事 ええ、何べんも来ていろいろ注文を付けたんです。私はやはりお城の中の三の丸につくるなら、屋根があって白と黒が基調となる建物がほし

 

 

 


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