教育福島0152号(1991年(H03)01月)-024page

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月の家庭訪問の時、保護者の話の中に、意味不明の言葉が飛び出してきたので、何度か聞き返し、冷や汗をかいた覚えがある。また、職員会議中では、語尾が上がり調子になるところが、妙に耳についてしまい、会議内容よりも、その話し方が気になって仕方がなかった。

不思議なことに、今は全く違和感がない。むしろ、千葉の友人や教え子に電話する度に、

「なまってるヨ」

と、言われてしまう程なのである。(自分では標準語を話しているつもりなのだが!!)

第二に、『芋煮会』である。千葉には、全く無い行事であり、その呼び名も初めて耳にするものだった。

「えっ?芋を煮てどうするの?芋を食べる会なのかな?変な行事だなァ」

と、真剣に考えたものだった。

いくら考えてもわからなかったので、先生方に尋ね、やっと理解できた。

「なんだ。バーベキューのことか」

今では、参加意欲の湧く楽しみな行事のひとつになっている。

第三に、『夏休みが一週間も短い』ことであった。

「冬休みも春休みも期間は同じなのに、なぜ、夏休みが一週間も短いのだろう?」

しかし、これは教頭先生に教育法規の説明をしていただき、納得できた。(今まで無関心であった教育法規がとても身近に思えた)

その他、大きな違いを感じたものは、『高校入試制度』(卒業式前の入試と卒業式後の入試の違い)、『中体連の試合日』(休日開催と学校行事扱いとなる平日開催の違い)などである。

「県が違うと、こうも違うのか?」と、驚かされたり、勉強させられたりした。

今では、色々な視点から物事を見ることができたので、少なくとも千葉での経験も無駄ではなかった様に思える。カルチャーショックと言う程のものではないが、様々な違いを目の当たりにしながらも、良い部分と良い部分を融合させて、それをこれからの教育活動に生かして行こうと思っている。

(須賀川市立第三中学校教諭)

 

師走に思う

峯岸創

 

の中で総合的に共存し、時間の流れのなかで自然に昇華されていくと思われる。

 

暮れも近いとある日曜日のFM放送はチャイコフスキー一色であった。なんでも日本人の最も身近な作曲家はチャイコフスキーだそうだが、確かにそう言われてみれば、私もこのロシアの作曲家の音楽は小さいときから最も聴き慣れている。日本人にとって「白鳥の湖」や「胡桃割り人形」の中の何曲かなどは、意識的にまた無意識の中で何度も耳にしてきたものに違いない。日本的な美意識の中にすっかり溶け込み全く違和感のない存在になっている。また、ベートーベンの第九交響曲も、暮れになると全国的に盛んで、この時期には欠かせない行事として私たちの生活感覚の中に入り込んでおり、ここ、福島でも先日、この曲の演奏会が音楽堂で満席の聴衆のもとに行われた。オーケストラ以外の独唱、合唱は全て地元の人達で、まさに市民手作りの演奏会を目指しているものであり、私も二回ほど、「福島第九の会」の合唱指導に立ち会い師走の気分を味わった。この曲をやるのは、やはりこの時期しかないと思ってしまう。市内の一般合唱団、お母さんコーラス、個人参加の方々等、音楽教師や、アマチュアの人達がこの大作に熱心に取り組んだ。シラーの詩による。人類愛を歌った日本人の「歓喜の歌」も、クリスマスと同じようにこの季節感の中で存在している。東西ドイツ統一の時に行われたクルト・マズアや故レナード・バーンスタインの指揮した第九の演奏会とは若干その意義が異なるだろうが、この地域における必然性をもった音楽文化活動になっているように思える。これらの外国の作品と私達の伝統的な音楽文化が、これからも、この地域、民族、気侯、風土等の中で総合的に共存し、時間の流れのなかで自然に昇華されていくと思われる。

これまでの我が国における西洋古典音楽は、欧米崇拝への憧憬的存在意義がひとり歩きをして、教養主義的要素を色濃くしてきた観は否めない。しかし、外国のものすべてがもの珍しかった時代の外国文化への意識と、その存在が無意識化された今日のそれとでは、その存在する意味がまるで違う。

日本の音楽教育は、明治五年の学制発布以来、西洋古典音楽を中心に据え既に百二十年余の歴史があるが、特に戦後における雪崩現象のような音楽ブームは、現在においても西洋古典主義神話として厳然と息づいている。外国がよく見えなかった時代であればあるほどこの神話は強固な存在であり、

 

 

 


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