教育福島0152号(1991年(H03)01月)-027page

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不注意からのけがもある。生活の乱れによる身体不調もある。何となく教室に行きたくないと言う子もいる。自分の身体のことなのに一言も話さず、付き添いの児童があれこれお世話してくれることもある。

私と子供たちが触れ合える時間は短い。A子のけがの手当てをしながら、そばでだるそうにしているB子に昨日の生活状況を尋ねる。そして再び、目の前のA子に不注意から起こるけがやその応急手当の仕方を指導したり、別の子からC子の交友関係を聞いたりと、短い休み時間の中でいろいろな情報があちこちと飛び交う。

私は、これからも保健室を訪れてくる子供たちとの出会いを大切にしていきたいと思う。気軽に入室できる児童もいるが、ほとんどはその子なりに意を決して保健室のドアをノックしてくるのであろうから。

(広野町立広野小学校養護教諭)

 

ともに学級づくり

齋藤四郎

 

ける巡り合いだからこそ、生徒の充実した歩みの形成が念ぜられるのでしょう。

 

日々生徒とともに生活していると、常に潤いのある生き生きとした生徒活動を期待するものです。この学級における巡り合いだからこそ、生徒の充実した歩みの形成が念ぜられるのでしょう。

この十年近くは、生徒の個性や可能性を、学級づくりを通して引き出し、育むことに、生徒とともに奮闘してまいりました。そのためには学級活動の基礎的単位となる生活班を編成することから始めます。班長は集団生活の推進役として立候補に際してその所信を述べ、この所信を理解し、期待する者がその班を構成することになります。また、それぞれの班は活動の内容を提案し、学級づくりに貢献することになります。いつでも、どこでも班会議や班長会議がもたれるよう配慮します。

 

班ノートの交換記録により、考え方を深め合います。集団生活における学業に関する活動、行事活動への取り組み清掃・給食活動など一切を学級づくりとして生活班が推進していくのです。さらに、これからの活動は学級通信により、保護者にも紹介されていきます。

このような学級づくりでは、思いやりや生徒相互の友達としてのかかわりあいが重視されてまいります。そして「よりよい」判断と「思いやり」のある行動の選択が絶えず促されるよう配慮されることになります。

さらに、このような言わばミニチュア・デモクラシーの醸成される学級づくりでの体験から生ずる道徳的な問題は、そのテーマとされ道徳の時間における学習にまで発展することもあります。生徒のそれぞれの考え方が練り鍛えられるためには、論点に基づく話し合い活動の組織化が図られることです。

今のところ、マラソン大会やスペリングコンテスト、清掃や給食活動での生徒の生き生きとした表情とそれぞれのよさが発揮される言動とが優先しております。生徒たちがより心豊かに、たくましく生きていけるよう学び合えるこの学級づくりは、とても尊く感じられます。豊かな人間関係の形成とよりよい生き方の自覚を促すこの学級づくりをさらに進めてまいりたいと思います。

(伊達町立伊達中学校教諭)

 

「班ノート」から

六月二十日(水) S・T

今日は、班の中では特に大きな事件や問題はなかった。

今日は、セミナーと掃除のことで書いてみることにした。

私の班では忘れてくる人はあまりいないが、学校に朝来るのがゆっくりで、ついたらさっさとセミナーの解答をすればよいものをベラベラと他のクラスの人としゃべっていたりして、記録が遅れて先生のいるうちに出さなくなってこまってしまう。

次に掃除のことだが、私の班の中の人ではないが、いつも掃除をやっているようなふりをして、友達とベラベラと無駄口をたたいていたり掃除があまリ進まないのである。

特に、今週は学校訪問があるため掃除を一生懸命にやり、教室などをきれいにするのだが、はっきり言うとまじめにやっているのは、ごく少ない。他のクラスに行ってしゃべっていたり、雑巾をもみだすのにわざわざ時間をかせぐためゆっくりやっていたりする。

「ふざけるなー」と思いっきり先生のようにみんなのところをどなりつけてみたいものである。

 

 

 


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