教育福島0152号(1991年(H03)01月)-028page

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低学年の子どもと共に

佐藤米子

 

いいの一言につきる低学年の子どもたちと共に過ごして、二十年が過ぎました。

 

すべてを受け入れる純真無垢な心、何も恐れない無邪気な顔、疑うことを知らない澄んだ目…。何を取り上げてもかわいいの一言につきる低学年の子どもたちと共に過ごして、二十年が過ぎました。

私が子どもたちをかわいいと思う情感は、母親が、わが子の長所はもちろん、欠点さえもかわいいと思って抱きしめたくなるような人間の愛に似ているのかも知れません。飽きもせずに、いや、むしろ想いを深めながら、低学年の子どもたちに魅せられて、校門をくぐってきました。

今年も、私は三十二名の一年生と共に生活しています。入学当初は、五分とじっとしておれず、所かまわず走り回ったり、けんかをしたりする元気のよい子どもたちでした。

その中に、S君というくりくり目玉のかわいい男がいました。本当に幼い子どもで、学習中でもおかまいなしに、突然私の前に出てきては、

「先生、遊んできていい?」

「先生、給食、まだ?」

「ねえ、ねえ、先生、何するの?」などと言って、私や友だちを困らせていきました。今ではもう、そんなことは言わなくなりましたが、人に頼ろうとする気持ちは人一倍強く、何でもやってもらおうとするのです。

つい先日も、宿題をお姉ちゃんにやってもらったことを、悪びれるふうもなく私に報告するのです。いつまでもこれではいけないと思い、いつになくきびしく注意しました。S君のくりくり目玉いっぱいに涙があふれ、とうとうその涙が流れ始めました。私はかわいそうなことをしてしまったと心が揺らぎました。しかし、S君を自立させるよい機会だと思い、心を鬼にして叱ったのです。

そのことがあってから、S君は、きまって、「先生、宿題、ぼく自分でやったよ」と、わざわざ報告するようになりました。時には、こうした突き放す愛も、遠くからじっと見守る愛も、子どもには必要なのでしょう。

教師が人生を教え導くという専門的な仕事である以上、高い識見と豊かな知性、卓越した指導技術を身につけなければならないのは当然かもしれません。しかし、私はそれにもまして、人間としての教師、教育愛にもえる教師でありたいと思っています。

初めて学校という集団の中で生活する一年生にとって、教師との心のつながり、子どもどうしの心のつながりが、特に大切なことだと思います。こうした温かい心のつながりがあってこそ、全ての教育活動が円滑に進むものと信じています。

これからも、子どもたちを母親のような愛で、時にはきびしい教師の愛でつつみ、育て導いていきたいと思います。

(福島市立鎌田小学校教諭)

 

夢多くこの丘楽しく

古川芳乃

 

みどりの山よ 咲く花よ

 

みどりの山よ 咲く花よ

学びやめぐり 舞う鳥よ

夢多く この丘楽し 藤原校

この学びやに はげもうともに

これは校歌の一節である。豊かな自然に恵まれている本校は、四季折々に美しく多種多彩な花々を見ることができる。ひっそりと咲く春蘭、すごい名前のジゴクノカマノフ夕、可憐なネジ花、清楚な花リンドウ、そして群生して咲くツリフネソウ等々。

木漏れ日の林の続く中を生き生きとして参加する子ども達、大きな歓声が飛び交う。

「この赤い実は何ですか」

「うわあ。こんなに大きい葉だ」

「すごい。ジャンボキノコがあるぞ」

「枯木の皮をはいだら、白アリ発見」

「春のマムシ草が、こんなに真赤な実になったんだね」

実に、子ども達は、意欲満々で元気いっぱいなのである。かつて、学生時代植物同好会に所属し、各地の野山を歩いていた私の説明など必要としてい

 

 

 


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