教育福島0152号(1991年(H03)01月)-029page

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ないのである。

「きれいなリンドウを踏まないで」

「先生、そこ滑るよ。気をつけてね」

もう私は、そんな言葉に、嬉しくなるのである。こんな子ども達に接する時、豊かな自然のご利益は、計り知れないものを感じる。しばらく歩くと、美しい景色のプレゼントである。そしてまた、ガマズミの真紅の実も、実に美味となるのである。

先日、微細な種子の蒔き方や育て方の講習会に参加する機会があった。

「作物を作らんとする者は、根を作れ。作物を作らんとする者は、土を作れ。花を育てるには、嫌光性か好光性かをよく調べること。シクラメンは、好光性です。 」

という講師の先生の話を聞きながら、学校教育にも同じことが言えるのではないかと思う。一生懸命育てているつもりでも、花の性質を知らなければ、より美しい花を咲かせることはできない。手入れの行き届いた花は、実に見事な花が咲くのである。すばらしい土作りならぬ環境づくりを、しっかりした根ならぬ基礎づくりを。そして児童一人ひとりをよく見きわめ、尊重し個性を生かすことが大切な事ではないだろうか。

近代的なオープンスペースなどの施設や設備の整った新校舎が完成したばかりである。三日後には、落成式が迫っている。合わせて、緑化推進の指定を受け、環境づくりに精を出しているところでもある。

しかし、何年過ぎても、教育の重みと難しさを感じる毎日である。次の時代を担う子ども達の瞳が輝き続けることができるように、そして、子ども達に美しい花を咲かせることができるように、微力ながら努力していきたいと考えている。

六校時終わりのチャイムが聞こえてきた。今日の野外観察は、どの子も満足そうである。短いクラブ活動の時間は、もう終わりである。

「来週は、紙すきの予定です。牛乳空パックを忘れないで持ってきてください」

部長の声が、青空に響いている。

まさに 夢多く この丘楽しのひとときである。

(いわき市立藤原小学校教諭)

 

子どもを大切こ

倉島一博

 

心から感謝し、生涯引きずることになるこの言葉との出会いにも感謝している。

 

三十年以上も前のことになる。新任の辞令をいただく時に「生徒を大切にしてください」というズッシリと重みのある言葉をいただいた。それ以来ずっと時により状況により、意味をかえ形をかえて、「生徒を大切にする」とはどういうことかという課題を私に問い続け、生き方を方向づけてきてくれたように思う。またとない課題を最初に与えていただいた故人に対し心から感謝し、生涯引きずることになるこの言葉との出会いにも感謝している。

学習発表会の反省会の折、ある先輩から、教師として在り方の指導を、酒を酌み交わして受けたことがある。

○ 子どもをどうしても好きにならなければいけないこと。

○ 子どもの内側に立ち、子どもの内側に存在することが大切であること。

○ 子どもの心と響き合える柔軟さを常に持つこと。

こういう基本的な構えを作ろうとしない人は、教師にはなって欲しくないという厳しいものであった。深みのある実践に裏づけられた話には、強い説得力があった。深い共感を覚え、それ以来私の目当てとしてきた。

この三項目を自らのチェック項目として仕事の跡を振り返ってみると、どれもこれでよいということはなく、限りなく課題であり続けるものであるとしみじみ思う。

彼についての、生徒のことばが、私にいろいろなことを教えてくれたのを懐かしく思い出している。

「あの先生に叱られっときは、おれらがわりいんだからよお…」

「どんなことがあったって、最後にはおれらを守ってくれる…」

「先生には逆らわんにぇもんな」

「いっつもは優しいけど、わりいことしたらおっかねえぞ」

「授業がおもしぇ」

 

卒業式も終わったある日のこと、もういない生徒の席に着いてぼんやりしている彼のつぶやきが、また私の心を強く捕えた。

「あの子から黒板は、こんなふうに見えたんだよなあ」

「もっと何かしてやれたような気がして…声かけて…」

「手離したくないような…喜んで卒業させて…」

こんな思いが生徒に伝わらないわけはないし、ここまでこだわり続けて指導してきた実践家に脱帽・感謝の気持ちでいっぱいであった。

 

いま若い先生方が増加しつつある。私が若かった頃に経験した心に残る出

 

 

 


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