教育福島0154号(1991年(H03)04月)-023page

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昭和十年前後の旧制喜多方中学のグラウンドで野球をする生徒の姿やまわりの情景が鮮やかに浮かんで来るいい詩である。

今でも、市内を流れる押切川に沿って遡行(そこう)すると、古い教会があったり、柳が芽をふいていたり、辛夷(こぶし)が咲いていたりする。その上流をたどって目をあげると、山形県境の山々に残雪が輝いてぃる。

爛漫(らんまん)たる桜花に囲まれた喜多方高校のグラウンドは広く、空は抜けるように明るい。その外側を北から東にかけて飯豊、大峠、高曽根、雄国の山々が、残雪を輝かせながら、大きく取り囲んでいる。野球部員のトレーニングの声も空に広がって行く。

時代は変わって、この大峠を国道百二十一号線がトンネルで米沢までを四十分の距離に縮め、山形大学への通学も可能になって来る。

若い国語教師であった木村(のち柳田)知常氏の書き残したこのローマ字詩集(南雲堂出版)には、半世紀前の喜多方がよく描かれている。

氏は後年名古屋の金城学院大学の学長を勤められ、「岩野泡鳴論」の著書もある国文学者でもある。

喜多方で春を迎えると、啄木の望郷の歌「やはらかに柳あをめる……」と、木村氏のこの詩が、いつも脳裏に浮かんで来るのである。

(福島県立喜多方高等学校教諭)

 

コカナダモを追いかけて

 

二瓶重和

 

の水生植物を駆逐する勢いでふえ続けているやっかいな帰化植物でもあります。

 

コカナダモは北アメリカの五大湖原産の水草で、日本には研究材料としてもち込まれたと言われています。水槽の中で容易に繁殖させることができ、理科の授業でも原形質流動の観察や光合成の実験でよく使われています。ところが、この植物は琵琶湖をはじめ各地の湖や河川で、クロモなどの在来の水生植物を駆逐する勢いでふえ続けているやっかいな帰化植物でもあります。

福島県では一九八一年に尾瀬沼の一角で発見されたのが最初ですが、その後三年間で沼の全域に広がり、貴重な植物に大きな影響を与えています。

近くの裏磐梯にもコカナダモが入ったことを知ったのは、私が猪苗代町の吾妻中学校に勤務していた一九八六年八月のことです。さらに、一人の生徒が学校にブラックバスを持って来たのは二学期の始業式の日でした。裏磐梯で釣ったのだと言います。コカナダモとブラックバス、どちらも日本に昔からいた生物に打撃を与える、ギャングのようなものです。このことを生徒に話したところ、クラブ活動の研究テーマとして取り組むことになり、早速裏磐梯の湖や沼、川の調査を始めました。

年々、コカナダモの分布域が拡大する中で、一九八九年には台風十三号がこの地域を襲い、六人の方が尊い生命をなくされました。秋元湖の水面は一気に上昇して濁流となり、長瀬川を下って下流の猪苗代町にも大きな被害を与えました。三日後、台風のつめ跡が生々しく残る長瀬川を生徒とともに、歩きました。結果は予想通りでした。河原の小さな水たまりの中に、コカナダモがしっかりと根をおろしていたのです。

コカナダモは水質汚染の指標植物であるといわれています。琵琶湖も尾瀬沼も汚染が問題となっていますし、裏磐梯でもコカナダモが繁茂している沼や湖の水は確かに汚れています。一方猪苗代湖では、長瀬川の河口を中心に調べていますが、これまでのところコカナダモを確認してはいません。

現在、猪苗代湖周辺では開発が盛んに進められています。宿泊施設が建設され、天然記念物のマリゴケが流れ着いた浜辺にはヨットハーバーもできます。湖岸にかろうじて残っていたミズナラやシナノキ、ハルニレの巨木も切り倒されてしまう運命にあります。

子供たちは川で遊び、野山をかけまわりながら多くのことを学びますが、現代はそうした機会がとても少なくなっているように思います。中学校の理科の教師として、生徒に自然保護や環境保全について考えさせるためには、互いにかかわり合いをもちながら生きているさまざまな生物の姿を観察させることが大切だと考えています。

先日、残雪を踏んで生徒たちと近くにあるミズナラの巨木を訪ねました。

春の息吹き、自然の豊かさを、肌で感じている生徒たち。私は、彼らがあの巨木のように大きく成長してくれることを願わずにはいられませんでした。

(会津若松市立第五中学校教諭)

 

 

 


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