教育福島0154号(1991年(H03)04月)-026page
なこと家の手伝いでよくやってるよ。」
ここ東和町は農家が多いので、こういった生徒も多いのである。私自身農家の生まれなので、「なんで、今さら」というのが当初の正直な気持ちであった。
植木鉢作りでは試行錯誤をしながら、生徒、保護者、教師が協力しながら作業を進め、終わった時は、皆満足感でいっぱいであった。前の晩、多くの父兄が遅くまで、粘土板作りをしてくれたのを生徒は知っているのである。
「最初は、めんどうだと思っていたが、やっているうちに時間がたつのを忘れていた。PTAの人たちの協力もあったのでいい鉢ができた。早く、花を植えてきれいに咲かせたい……。」
これは、植木鉢作りをやった後の生徒作文だが、私にしても全く同じ気持ちである。なお、これらの植木鉢は、保護者の協力で窯元で見事に焼きあげられた。
ジャガイモ植えでは、イモ切りをしていると、普段あまり目立たない生徒が、
「切り口に、灰をかけるといいんだよ。」
と、自慢気に話していた。また、私が鍬を使っていると、背後から、
「先生、似合ってるよ。」
という声援?を受けた。久しぶりにいい汗をかいたような気がした。
この研究を通して、研究校としての多忙さはあるが、反面、土を通して、ゆったりとした気分で生徒と接することができるようになったと思う。また、保護者の協力が必要な場面もあるので、子どものために作業する親の姿を見て、生徒も何かを学ぶ(感じる)ことができたのではないだろうか。また、保護者や教師も生徒の意外な面を知ることができたように思う。
最後に、今年、都市部の中学校から異動して来られた先生が、
「今まではデスクワークが多かったが、土を通して、初めて人間本来の生活ができたような気がする。」
と話をしていたのが印象的だった。
(安達郡東和町立東和中学校教諭)
出会いの季節
星小夜子
教室の窓から外に目を向ければ、桜が、花吹雪となって風に舞っています。学級園では、一年生が秋に植え付けをしたチューリップが、並んだ、並んだと背伸びをしているように咲いています。二年生が種蒔きをしたアブラナも咲き競っています。明るい、希望に満ちた春が、また、訪れました。
学校の四月は、大忙しです。でも、入学児童を迎え入れ、進級の喜びに包まれている上級生達。ちょっぴり不安と緊張が入り混じっているこの時期が、一年間の学校生活の中で、私は、一番好きです。
今年は、一年生、二十二名の担任になりました。仮担任発表のその日から、新入生の姿を思い浮かべ、机やロッカーの名札を書きました。教室を飾りながら、今までの教育実践を反省し、この子達と、これもやろう、あれもやろうと、胸膨らませる日々でもありました。いよいよ、入学式の日、かわいい声で、
「先生、よろしくお願いします。」と、ぴょこんとおじぎをする子ら。もみじのような小さな手を両手でしっかり握り返すのが、私の返事でした。一年間、この子達の四十四の瞳が、元気、本気、やる気でますます輝くよう努力しなければと、教育の使命感に燃える時でもありました。
初めて、河東第一小学校で
「先生。」
と呼ばれて二十四年、たくさんの子供達との出会いがありました。
忘れられないY君がいます。十九年前の四月、O中学校の実務学級、五人の生徒を担任することになりました。怖々と、不安一杯で引き受けたのですが、みんな明るく、思いやりのあるやさしい子供達でした。教育は、本当の心のふれ合いがなければ成立しないことを、はっきりと教えられた時期でした。Y君は、ひらがなの読み書きもできないまま、卒業していきました。
ある日、突然に電話がありました。
「先生、俺。体こわして家に帰ってんだ。腎臓がちょっと。」
病気の大変さと同時に、どうして私の電話番号を調べ、自分で電話をかけることができたのか、社会に出てからの彼の成長ぶりに、驚かされました。中学時代、教師として彼に何もしてやれなかったのではないかと、自分の無力さを味わった時でもありました。Y君は、一日おきに人