教育福島0155号(1991年(H03)06月)-023page

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随想

日々の思い

 

N君の変身

林和樹

 

そして今年度は一・二年複式というように、いつも初めての経験ばかりである。

 

私はまだ一度も同じ学年を持ったことがない。初任校では、六年間に一年から六年までの全学年を担当。二校目の沢渡小学校新田分校では三・四年複式、そして今年度は一・二年複式というように、いつも初めての経験ばかりである。

私にとってのこの七年間は、こしれからの教員生活にとって大きな宝となるに違いないと思っている。それは、小学校の各学年のその時々の子どもたちの発達の姿を知ることができたし、また、分校での勤務は、一人一人を見つめる教師の目と心の重要性を私に考えさせてくれたからである。

今、私の学級にN君という子がいる。昨春、ただ一人の分校への新入生である。N君は、何かあるといつもしゃがみこんでしまい、周りで何を言っても黙りこんだまま動こうともしない子だった。

数年前にもN君と似たタイプのK君を担任したことがあるが、その時は一クラス三十七人の担任。目の回る程の忙しさの時にそのK君に黙りこまれてしまうと、どうしていいか分からなくなってしまったものだ。周りの子に世話をさせたり、特別扱いをさせたりする。でも今になって思えば、それらはK君のためというより、すべてが私の都合でやっていたように思えてならない。相手の目を決して見ようとしない、表情を押し隠したまま黙っているそんなK君の顔が今でも目に浮かんでくる。

分校で少ない人数の子どもと接している今は、これまで見えなかったものが見えてきたように思える。以前には、周りと同じようにさせなくてはならない、何とか良くしてやらなくてはならないとあせりを感じたものだ。しかし今は、なぜこのようなことをしているのかな、今どうしたいんだろう、どうしてあげるといいのかなという気持ちでN君を見ることができるようになってきた。

さて、そのN君が二年生になった。N君はこの春一年生を迎えたことを機会に大変身をとげたのである。担任の不安を見事に打ち破ってくれたといってよい。彼はしゃがみこむどころか、一年生に学校生活の手本を示そうと努めている。

「そうじゃないよ。こうするんだよ。」という彼の声には、上級生としての誇らしささえ感じられる。

子どもはチューリップの球根と同じ。時期がくれば自然に芽を出すのだろう。ゆとりを持って見守ってあげることが大切なのかもしれない。

あのだんまり屋だったK君がこの春高校に合格した。祝いの電話をかけたら、

「ありがとうございます。高校でも野球部に入ってがんばります。」

と答えてくれた。男らしくなった太い声が、たくましさを感じさせてくれた。

(いわき市立沢渡小学校新田分校教諭)

 

出会いを大切に

高橋知子

 

ートした私の朝は、スクールバスに乗って園児を迎えに行くことから始まった。

 

昭和四十二年、村立幼稚園開設と同時に、幼稚園教諭としてスタートした私の朝は、スクールバスに乗って園児を迎えに行くことから始まった。

朝霧が流れる中、「お早ようございます!」と、元気にあいさつをして乗り込んでくる園児たち。園に着くまで、大きな声で歌っていたが、あのときの赤いホッペの顔が、つい昨日のことのように思い出される。

保育室は、老朽化の進んだ小学校の空き教室。壁はすすけ、何もない

 

 

 


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