教育福島0155号(1991年(H03)06月)-024page

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広いだけの部屋。精一杯保育室らしく見せようと、あれこれ工夫した日々。無我夢中で、すべて手さぐりの中、当時の園長先生や小学校の先生方から、いろいろ教えていただいたことが忘れられない。当時は、子供たちの夢をふくらますような遊具も少なく、満足のいく指導もできなかったように思う。でも、子供たちはいつも無邪気で明るかった。

あれから二十三年。数え切れない程の子供たちとの出会いがあった。明るくおしゃまな子。おとなしいが芯の強い子。わがままで乱暴な子。絵が好きで器用な子。やさしくてめんどう見のいい子。しっかりしていて頼りがいのある子。内気で話さない子…など。一人一人の個性をしっかりと受けとめて指導することの大切さを、子供たちから学んだ年月でもあった。

また、園長先生方との出会いも、私にとって大きな宝である。新任で、小学校との兼務である園長、副園長先生の多くは、二、三年で転勤される。それだけに、随分と多くの先生方からご指導を受けることができた。それぞれのお人柄に惹かれながら、教育観、社会観、人生観、家庭観などを肌で感じ、教育者としてのあるべき姿を学ぶことができた。

今年もまた、かわいい園児たちとの出会いがあった。その中には、教え子の子供たちもいる。親子を通しての出会いであり、教育に携わることのできる幸せをかみしめている。

教え子たちの社会での活躍ぶりを見守りながら、また新たな出会いを求めて頑張っていきたいと思うこの頃である。

(飯舘村立飯樋幼稚園教諭)

 

通信制での三年間

星正人

 

なければならない。この時間をいかに有効に使うかが、常に私の課題であった。

 

生徒が仕事を終えた後、クラス会を開き私をよんでくれた。「先生、中卒では、だめなんです。回りの人の見方が違うし。」私が、「あなた達みたいに立派な人なら、全然そんなこと気にする必要ないでしょう。」と言うと、「先生達は、皆同じ学歴の中で働いているから、あまり感じないんですよ。」彼女達は、中学卒業以来、学歴社会の壁を身にしみて感じてきたのである。さらに、「先生、今仕事に、主婦、それに日曜日は、学校と本当に忙しいんです。でも私は高校時代にやらなかった分今、そのつけを払っていると思うことにしているんです。それに学校は楽しいし、経験の後から学問がついてくるみたいで、知らなかった事を知る喜びがあるんです。」私は、彼女達の向学心は本物だなと思った。実際、月二回の日曜日のスクーリングにおける生徒達の姿勢は、積極的で真剣なものがあった。普段は、自分で教科書を読み、リポートを作成し学校に郵送してくる生徒達が、先生に直接会えるスクーリングを、いかに大切にしているかが感じられた。月二回の授業で、全日制で何十時間に当たる内容をカバーしなければならない。理科のおもしろさも伝えたいし、知識もしっかり教えなければならない。この時間をいかに有効に使うかが、常に私の課題であった。

通信制に在学する生徒は、年齢、職種、学力なども様々である。二十〜五十代の生徒達は、家庭の事情等で高校入学できなかったが、その夢を捨てずに、入学してきた生徒が多く、通信制では、核になってがんばっている。様々な挫折感を持ち入学、転学してくる十代〜二十代の若い生徒達も、年上の人達のがんばりを見て「私達もがんばらなくちゃ。」という気持ちを持ち集団を形成する。最も通信制のすばらしい面である。この家庭的雰囲気の中「通信制に来て本当に良かった。」そう思って卒業していく。こんな通信制の教員として卒業生を出すことができた。

通信制という立場から全日制について考えることができた三年間は、これからも常に忘れずにいたい私の大きな財産である。今、全日制に移り、生徒がいつもそばにいて、いつでも話をしたり、話を聞いたり、指導ができることに喜びを感じている。そしてその生徒達は、非常に可能性を感じる生徒達であり、恵まれた環境で高校生活を送ることができる生徒達である。その中で自分の可能性を否定してしまっている生徒を見ると本当に残念に思う。しかし、もっと恐ろしいのは、私が生徒の可能性にかってに線を引いてしまうことであると思う。「こんなものだ。」と考えると楽にはなるが、生徒の可能性は、そこで閉じられてしまう。このことを常に肝に銘じて、生徒の可能性を信じ、教科指導、クラス、部活指導にがんばりたいと思っている。通信制で出会った年配になっても向学心にあふれる生徒達のように、いくつになっても前進する気持

 

 

 


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