教育福島0155号(1991年(H03)06月)-026page

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と思ったほどであった。

悩んだ末に、私は、体育教師として、国体に出場できるような選手を一人でも多く育てたいと考えた。

「国体」という言葉を聞くたび今でも私の身体中の血がさわぐ。地元の人達の熱い声援や、意気込みを肌で感じることができる。トラックを走っていた時の、自分でもはかり知れない力を発揮させるあの声援を、思い出させる。

福島国体まで、あと四年。マスコミで盛んに取り上げられている。各競技施設の整備や補助、選手強化のための組織拡充などが着々と進められている。そんな中で、中・高生の若手ホープも登場している。しかし、多くの大会の福島県の成績は低迷状態が続いており不安な声もささやかれている。

私は指導者の一人として、まだ未熟ではあるが、精一杯選手の育成に努めたい。さらに、「福島国体を成功させる」ために、多くの方々の協力と、選手達の奮起を願っている。私が島根国体で残した八百メートル第二位の記録を超える選手が数多く出ることを期待している。

若人達が、福島国体に熱い思いをたぎらせ、ほんとうの空に翔び立つ勇姿を見つめていきたい。

(西白河郡東村立東中学校教諭)

 

「Excuse me…」

高山尚之

 

からだ。中学校以来数年間も英語に接してきたのにとても情けない思いである。

 

「グッドモーニング!」ウィッキーさんが街ゆく人に英語で話しかけるTV番組がある。以前の私なら、そそくさと走り去ってしまっただろう。外国人と英語で会話をするなど夢にも考えたことがなかったからだ。中学校以来数年間も英語に接してきたのにとても情けない思いである。

昨年の夏、機会に恵まれ欧州旅行に出かけた。自由行動の日はOP不参加。単独で少し遠方へ足をのばした。必然的に何でも自分ひとりでやらなければならない。一度も英語で会話などしたことのない私。今思えば何と大胆な行動であったろうか。身ぶり手ぶりで切符を買い列車に乗り込む。すぐに車掌が来た。乗り換える駅を確認しなければならない。回りに日本人はだれもいない。私の顔はこわばり、緊張感で手は汗びっしょりである。「エクスキューズ・ミー」まではよかったがそこから先がでてこない。しかたない、ここは度胸一番、日本語の順番に単語を並べてみるしかない。(頭の中はもうパニックである)けげんな顔をされるかと思いきや、そんな私を察しその車掌は、私にでもわかる単語でしかもゆっくりと話をしてくれた。「やった!何とかなるもんだぞ。」--私にとって初めての経験であり、感動の一コマであった。その後、先々で誰もが気軽に話しかけてくる。私の様子を察し、こちらの言葉をわかろうと努め、わかりやすく話してくれる人の何と多かったことか。そんな親切のおかげで、満足に話すことができない私でも多くの人と話すことができた。そしていつしか私の外国人恐怖症も陰をひそめていったのである。

本校でも外国人教師を招いている。生徒ばかりでなく自分自身も学ぶことが多くうれしく思っている。旅行を機に、会話してみようという気持ちになってきた。それに比べて生徒たちは最初からとても積極的に話をしている。感受性豊かな生徒たちにとってこれら外国人教師と接することは、国際社会で生きていく第一歩となることであろう。英語で会話している時のきらきらと輝く目。それを見て、将来どんなにか視野の広い人間として成長していくだろうと、たのもしく感じているのは、私ひとりではないであろう。それと同時に、日常生活で困らない程度の語学力と国際感覚を、遅ればせながら少しでも身につけていきたいと思うこの頃である。

ふと時計を見ると、間もなく今日のラジオ英会話講座の始まる時間である。

(伊達郡国見町立県北中学校教諭)

 

 

 


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