教育福島0155号(1991年(H03)06月)-027page
鈍行列車礼讃
安部宏宣
近年私は極力費用をかけない旅行をしている。金をかければ何処にでも簡単に行ける現在、こんな旅もどうだろうかということで、普通列車つまり「鈍行」で彼方こちらと歩きまわっている。そのため旅費を少しでも安くするのに「青春18きっぷ」を使用している。この切符は登場してから九年経つが、知っている人はあまりいないようだ。それでもファンは多いらしく、国鉄時代に売り出された切符だが、JRに移行した今日でも存続されている。
私がこれで旅行するようになったのは、高校一年の冬からである。それ以前も同じような旅行をしていたが、資金との兼ね合いから旅程が千キロ程度の計画しか組めなかった。たまたま書店で時刻表の頁をめくっていると、例の切符の広告が目に入った。一人なら一万一千円で五日間鈍行に乗り放題、ということで早速購入し、東北・北陸・信州と旅してきた。それ以後はこの切符の発売に合わせて計画を立案し、九州以外のほぼ全国をまわった。普通の人なら堅い椅子の普通車輛に一日平均十時間以上揺られる行程など考えもしないだろうが、私は生まれつき乗り物には強く出来ているらしく、この程度では全く苦にならない。
ここで私の独断と偏見に満ちた考えによる新幹線や特急等と比較した鈍行の魅力を挙げるとそれは、その名のとおり遅いスピードと、窓が開くことである。前者について通常であれば速い列車に魅力を感じるだろうが、車窓を流れる風景を眺めつつ、写真を撮影したり感じたことをノートに書き留めたりするのには、ゆっくり走ってくれる鈍行の方が都合がいいのだ。後者の窓に関しては、今の列車は静粛性や空調の効率を優先させるので窓が開かない構造になってきているが、例えば夏に高原を走る列車の開け放たれた窓からの風は、人工的な冷風など及びもつかないほど爽快であるし、走る地域によっては山の緑や海の潮の薫りを満喫することもできる。
前述のように費用をかけない旅行なので、宿も無人駅でシュラフにくるまるか夜行列車に車中泊、食事も自炊となるが、こんなことをしている人間が夏の北海道には特に多い。お互いに同じような旅をしているので、一緒になったりするとなんとなく打ち解けてそのうち夜を徹して今までのエピソードを話したり情報交換をするようになるが、こうなると名残惜しく翌日の別れが辛くなる。
ここまでだと私は国内旅行専門のように見られるかもしれないが、今は総延長九千三百キロのバム鉄道でシベリアの原野を横断しモスクワに至る旅に思いを馳せている。
いい加減こんなことやめようかと思うこともあるが、当分は列車の旅から抜け出せそうにない。
(県教育庁福利課主事)
旅行中の筆者
子どもの学びから
蜿タ文俊
「え、ぜんぜん分かんない。」
私が、九年前に初めて教壇に立って授業をした時、かすかに聞こえてきた子どものつぶやきである。私にとって、大変ショックな言葉であり、脳裏からしばらく離れなかった。そして、この言葉が、私に「子どもにとって学ぶということはどんなことなのか」を真剣に考えさせ、子どもの側に立っての授業実践に努力させてきたとも言える。
しかし、いつの間にか、この言葉から受けた悔しさや苦しみが薄れ、私は子どものために真剣に悩むことが少なくなっていた。
そんな私に、先の言葉を思い起こさせ、「子どもの学び」に再び目を開