教育福島0156号(1991年(H03)07月)-023page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

日々の思い

 

M男とともに

秋元澄江

 

汲ェある。これは、私の宝物、家庭との連絡帳。M男との一ページを開いてみる。

 

ここに、数冊のファイルがある。これは、私の宝物、家庭との連絡帳。M男との一ページを開いてみる。

◇七月四日 一校時

M男、夢中になって、粘土で好きな動物づくりに取り組む。

「でえきたできた。きりんさんができた。校長先生に見てもらお。」

「M君、上手にできたねえ。このきりんさんは、お腹が空いても大きな声で泣いたりしないよ。」

「校長先生、このきりんさんはね、動かないからお腹は空かないの。」「ワッハッハ、そうか。M君に一本とられたよ。まいった!!。」

M男--知恵遅れではないが、脳梁欠損症と診断された子であった。一年生の六月から入級する。入級当時、M男は腹時計に合わせて給食を催促し、おばさん達を慌てさせた。我慢することができないで、大声で泣き喚(わめ)くのが日課となっていた。特に、米飯が大好きで、おかわりは、校長先生によそってもらうことを楽しみのひとつにしていた。

◇九月十日 雨の日

仕事休みの祖父が教室に姿を見せる。手元には、買いたての雨靴が。一瞬、母親の言葉がよぎる。

「M男の事になると、じいちゃんは目の色が変わるんですよね。」

M男の祖父は、農作業の合間に、上手に植木類の手入れをけるほど働き者である。酒で疲れを癒す事も多い。そんな時、M男は祖父の仕事着を脱がしてあげ、寝床まで抱きかかえるようにして横にさせ、一緒に寝ることにしているそうである。

「Mはめんこい。先生、頼むかんない。」

視点をかえるという言葉があるが、いつの間にか、私は、元気で天真爛(らん)漫なM男が大好きになり、M男の豊かな感性からほとばしるやさしさに心打たれ、失いかけていたものに気づかされ、教えられることが多くなっていった。

◇二月八日 初雪の日

一校時終了のチャイムと同時にM男が登校。

「先生、雪のおにぎり、作ってきてあげたよ。」

両方のポケットから、握りしめていた両手をそっと出して、大事そうにゆっぐり指を開いていった。真っ赤な手の平に、ちょこんと顔を出した雪のおにぎりが、眩(まぶ)しい程に輝いて見えた。

 

君とわれ、共に腕くみ

君とわれ、倶に学びて

聞こえてくる植田小学校の校歌を口ずさみながら、学級園のいちごの白い花々を眺めてみる。散ってゆく花の横に開きかけた蕾(つぼみ)があり、枯れた花のあとにはいくつもの実が残され、やがて育っていく。ともに生きるということは、何と、ひと枝の花に似ていることでしょう。

校長先生や祖父の温かい心は、いつまでも、M男の胸に深く刻みこまれて残り、静かに、M男の生きる方となっていくものと信じている。

私達の役割は、子ども達を預かって育てていくことにある。でも、私には、子どもを、固定的、一面的でなしに、柔軟に、まるごととらえる大らかさを持ち合わせているだろうか。そして、時に、障害ゆえの遅れを、天性のユーモアととらえ得る、心の幅を持ち合わせているだろうか。「でも、この子には、こんなにいいところがあります。こんな可能性があります。」と、わずかな能力や可能性であっても、それを見いだす努力の姿勢と感受性、そして、親の痛みに共感する、みずみずしい心が、失せていないだろうかと自省することしきりである。

植田小学校の子ども達との出会いを機に、自分を見つめ直しているこの頃である。

(いわき市立植田小学校教諭)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。