教育福島0156号(1991年(H03)07月)-025page
ずつつながってきた。友達と相互に学び合う場は児童一人一人が認め合い、助け合い、励まし合う機会になると同時に心の交流の深まりも感じられた。
3)小動物飼育で生命の尊さを学ぶ場
男の子は元来小動物が好きである。そこで魚やザリガニなどを教室に持ち込ませ、ミニ水族館を設けた。水そうには責任者名を明示して責任を持たせた。初めは関心をもってやっていたが、忘れて生き物が死ぬこともあった。死に直面した時、涙を流して係の子供につめよる子もあった。その時生命の尊さを教えた。また、忘れた時は教え合うことの大切さも話した。
一年経った今、以前と比べて教師と子供の相互の信頼感が増し、子供の心も豊かに耕されてきていると思う。今子供達は進級祝いにもらった花を育てることに夢中である。休み時間になると花のそばに行き、土焼けした手で優しくなでるわんぱく達。今年は花を育てることにより思いやりの心が育ってほしいと願っている。
(会津高田町立高田小学校教諭)
思いやりの花が咲くように………
無言の教え
鴫野真一
本校の教員になる前の九カ月間、私は、養護学校寄宿舎の寮母の役を務めたことがあります。そこで、身体に障害を持つ子供たちと生活し、他人を思いやる優しい心や感謝の心、手足の障害を克服しようとして頑張る勇気の心、頑張れと励ますとハイと答える素直な心など、実にさまざまな心に出会うことができました。身体に障害を持ってはいるが、心には障害を持っていないのです。そのことを、養護学校の子供たちは、無言のうちに、私に教えてくれたのでした。
この「無言の教え」を胸に刻んで今春、中学校教師としての第一歩を踏み出しました。
入学式の日、緊張しながらも、一人一人の生徒の名前を心を込めて呼びました。生徒たちも大きな返事でこれに答えてくれました。お互いの心が一つになった感じがして、私の喜びもひとしおでした。
教師としての喜びにひたりながら一週間が過ぎた、ある日の社会科の授業のことです。二クラスめの授業ということで、自信を持って授業に臨んだのです。ところが、私の発問に誰も答えようとはしません。ただ、黙っているばかりです。
『五組ではうまくいったのに…。
なぜこの組では反応がないんだろう。』これまでの自信が一変して、不安とあせりに化してしまいました。時間にしてたった二分間ぐらいの沈黙が、とても長い時間に感じました。授業後、先輩の先生にそのことを話したところ、「同じ内容の授業であっても、クラスによって指導の在り方を変えないといけないよ。毎時間ごとに、学級や生徒一人一人の実態にあった教材を工夫した、生徒の反応などを予想したりして生徒の側に立った教材研究を進める必要があるね。」と、教えてくれました。
このことを、無言の反応という形で、生徒たちは教えてくれたのです。今までの自分の勉強不足を反省するとともに、「この生徒たちの瞳がキラキラと輝くような授業をしてみせるぞ」という意欲が一層湧いてきました。
中学校の教師として、毎日、さまざまな心と出会っています。生徒の声なき声(心)を大切にし、共に考え、悩み、そして、大きく成長していきたいと思っております。
すばらしい生徒たちに囲まれ、また、校長先生をはじめ、諸先輩方の温かい励ましを受けながら、教育活動に専念できる毎日に感謝しています。改めて、「教師」という職業を選んだことに、言い知れぬ誇りと満足感を抱いているこの頃です。
(大熊町立大熊中学校教諭)