教育福島0156号(1991年(H03)07月)-026page

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心のふれあいを求めて

黒金ヤイ子

 

徒が多い。体調が本当に悪い時もあるが、この頃は心因性の場合も少なくない。

 

「先生、頭が痛いんです」「気分が悪いんです」と朝から身体の不調を訴え保健室にくる生徒が多い。体調が本当に悪い時もあるが、この頃は心因性の場合も少なくない。

二年の夏休み以降長期欠席をしているS子ちゃんのことである。担任の先生から「来週の月曜日から登校できそうです。まっすぐ保健室に行ってみたいと言っているのでよろしくお願いします。」と嬉しい話があった。

その日は朝から仕事も手につかず、今か今かと心待ちにしていたところ九時過ぎた頃、S子ちゃんが保健室を覗きこむようにして入ってきた。私は思わず「S子ちゃんおはよう、元気だったの」と言って肩を抱きながら背中をたたいていた。カバンを机に置いてほっとした様子であった。「どうして学校に来られなくなってしまったのかな」と聞くと「私、みんなと考え方が違うから何となく嫌になったの」とその訳を話してくれた。「S子ちゃんが大人になるのには、友達と話したりすることがとても大切なことなのよ」と言いたかったが「そう」とだけ返事をして、家でのことや友達のことを聞いたり、最近の友達の様子を話して聞かせたりしてその日は終わった。

その後一週間位、他の生徒と時間はずれた登校であったが、保健室でプリント学習などをして過ごした。初めは一時間、次の日は二時間と学校にいられる時間が長くなり保健室に来た一部の生徒と言葉を交わすことができるようになった。私も、いつかは教室に行けるようになるだろうと期待しながらすがすがしい気分で毎日、見守っていた。

ある日、掲示が済んだ末整理の「保健ニュース」がたまっていたので整理を頼んでみた。整理の仕方を私に質問しながら分類別にきちんと綴じてくれたのである。「先生はそんなにきちんと出来なかった。さすがS子ちゃんだね」と言ったら、「もっと何かないですか」ととても満足そうであった。その表情はとても生き生きとしていた。教育センターからの連絡で気力が出てきた時は、機会をみて教室での生活を勧めるよう指導を受けていたこともあり「だんだん教室に行ってみてはどう」と話したら、「教室に行く時は、きちんと朝から行きたいので、明日から行ってみる」とはっきり答えてくれた。保健室での生活を始めてから約一カ月後のことである。カウンセリングでよく言われる待つことの大切さを私自身も実感した。そして、翌日は朝から教室に行くことができた。教室に行った日の帰りに晴ればれとした顔で保健室に寄ってくれたので「疲れたでしょう」声をかけてやった。そして、楽しみにしていた修学旅行にも参加することができたのである。

その後は、かぜをひいて体調をくずしたこともあって休みがちであるが、明るい見通しを持っている。

「問題がすぐに解決しなくても、その時、教師として人間として誠意をもって関わることがより重要である」という言葉がある。生徒を心から愛して接するためにもこの言葉を肝に銘じ自らも心身の健康に努めながら心のふれあう関わりをしていきたいと思う。生徒の心からの叫びを受けとめながら……………

(福島市立北信中学校養護教諭)

 

折々のこと

金成邦夫

 

多くの上司、同僚、子供達の顔がさまざまなかたちとなってよみがえってくる。

 

教職というこの道に就いて、早いもので二十数年が過ぎた。振り返ってみると、多くの上司、同僚、子供達の顔がさまざまなかたちとなってよみがえってくる。

若い頃、単なるガキ大将気分で、感情のままに喜び、悲しみ、怒って突っ走った苦い思い出もなつかしい。

「初心忘れず、頑張れよ。」

「若さは今しかない。間違っても俺たちがいる。心配せずにもっと破天荒にやってみろ。」

と、暖かく見守り導いてくれた先輩方に囲まれた時分であった。

やがて、「やればできる。」という実証と、「敗れて泣くな、勝って泣け。」との勝利の涙を流させたい一念で、軟式庭球部の指導に情熱を注ぐよう

 

 

 


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