教育福島0156号(1991年(H03)07月)-028page
家庭訪問
佐久間金治
朝六時
学校へ五キロの道を歩き始める
じゃり道 坂道
まがりくねる道
遠い 遠い
くたびれる
それでも歩く
ああ
ようやく学校の赤い屋根
私が新採用の年に担任した児童、修一君が書いた詩です。家庭訪問の季節になると彼の家のことが頭に浮かびます。
修一君は、元気いっぱいの小柄な三年生でした。しかし、授業中に眠り込んでしまうことがよくありました。みんなで起こしてもびくともしません。訳を聞いてみると、くたびれてしまうというのです。彼は大変遠いところから通学していたのですが、その時の私は、困ったなと思うだけでした。
五月に家庭訪問があり、受け持ちの児童二十名の家を訪ねることになりました。車を持たない私は、一軒ずつ歩いて訪問します。いざ彼の家へ行こうとすると、先輩の先生が「午後の今から滝ノ原部落まで歩いて行って来るのは無理だよ。」と言うのです。私の認識不足から予定を変更しなければなりませんでした。
いよいよ家庭訪問の日。集落を抜け、川沿いの県道をはずれるとじゃり道です。ゆるやかな登り坂が続きます。車に出合うこともなく、大きくカーブすると道祖神を祭ったような小さなほこらが見えてきます。そして分校の青い屋根が木々の葉の間から見え隠れしてくると、彼の住む滝ノ原部落でした。一時間半たっぷりの道のりでした。
この部落は標高が約七○〇メートルあり、家の中は真夏だというのにひんやりして、汗もすっと引いてしまうようでした。母親と祖父が待っていてくれました。修一君の家庭での生活の様子をはじめ、彼の父親が去年伐採作業中に事故死したこと、ここはもともと木地師の部落であったこと、住む人がどんどん減り現在は三軒しかなく、それもあと何年かでここを降りてしまう予定であることなど、いろいろな話を聞きました。
帰り道は、暑さもさほどではなくなり、修一君に途中まで送ってもらいました。道すがら、これを毎日朝夕続ければ、子どもの足ですから、疲れて眠ってしまうことも仕方のないことだ、とうなずけるような気がしました。
「子どもの非を責め、叱ることは簡単であるが、子どもを知るということは本当に難しい」とその時強く思ったものでした。
(三春町立三春小学校教諭)
決断
青津伸一
一万人に一人、こんな出現率の病気を持って長男が生まれてきた。先天性胆道閉鎖症である。ここ二、三年よくマスコミに取り上げられている。島根医科大で生体肝移植をした杉本裕弥ちゃんも同じ病気である。生まれつき肝臓から腸へ胆汁を流す管が閉塞しているため、肝硬変となり死亡する病気である。
この治療には欧米では肝臓移植が一般的であるが日本では臓器移植が認められていないため、腸の一部を肝臓にはりつける方式をとっている。後者は、成功率も低く、治療後の経過も良くない。この方法による手術は二回ぐらいが限界で、それでも胆汁が流れないときは打つ手がなくなってしまう。
私の息子は、生後六カ月の間に二回の手術を受けた。しかし、症状がひどく、胆汁の流れ口が見つからず、腸を形だけつけただけにとどまってしまった。息子のおなかには真一文字に大きな傷が残り、腕や額には点滴の跡が残っていた。私達夫婦は、ひたすら奇跡を願うしかなかった。
私達は、主治医など多くの方々と移植についての相談もした。こかし、海外での手術には莫(ばく)大な費用がかかるという。一回の手術費が約五千万円。他に、渡航費や入院費などである。そればかりではない。海外へ出かけている子供も多く移植の順番待ちの間に亡くなるケースも少なくないというのだ。私達は、決断できなかった。
最後の望みとして、国内での移植再開に期待し、病院近くのアパート