教育福島0157号(1991年(H03)09月)-048page

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−教育ひとロメモ−

福祉教育

養護教育課

 

一、子どもを取り巻く環境

 

(1)心身障害児を取り巻く環境

昭和五十四年度の養護学校教育の義務制実施から十年余、養護教育は子ども一人一人の障害の状態や能力、適性等に応じた教育を実践し、子どもたちの生きる力となって着実に前進しています。しかしながら、健常者が障害児の行動や心情を推し測ることができないため、誤解や偏見が今だに混在しています。

(2) 核家族化、地域社会の教育力の低下

お年寄りは子どもたちと別に住み、家の中でお年寄りを世話する母親の姿を見ることもなくなりました。近所では、子どもたちの多くは、縦の人間関係から横の人間関係へと変容し、同世代同士競争相手としか遊ばない状況が見られます。

お年寄りとふれあい、その生き方や教えに学び尊敬の念を抱いたり身のまわりの世話をし、その不自由なところを手伝ったりする機会が少なくなり、「思いやる」「いたわる」という気持ちも育ちにくい環境にあるといえます。

障害を持つ者や高齢者を理解し、「優しさ」や「いたわり」の心が育つような教育を学校では意図的に設定することがこれからぜひ必要となってきます。

 

二、福祉社会のおとずれ

 

我が国は、二十一世紀には世界で最も高齢化の進んだ国になるといわれています。長寿国の急激な途をたどる現実を考えるとき、国民の意識や価値観の変革と経済、社会のシステムを長寿社会に対応できるように調整、改革をしていくことが必要であるといわれています。

本県においても、高齢化は着実に進行し平成十七年には六十五歳以上の人口が20パーセントを越え、平成三十七年には25パーセントに達すると予測されています。

このような時代をむかえた時、障害者や高齢者等に対して若い人たちがどのように接し、どのようなことを実現させていくのでしょうか。それは、現在の幼稚園や小・中学校の子どもたちが、障害者や高齢者をどのように理解してきたかにかかっているといっても過言ではありません。

 

三、障害者、高齢者理解の視点

 

私たちは、ともすると世の中で役に立つ能力を基準にして人を評価しがちです。確かに障害者や高齢者は時間がかかったり無駄の多いことがあったりして、生産性が低いということがあります。また、外出するにしても、周囲の人々の手助けがないと行動できないこともあります。ただ、「できる、できない」という視点からのみ障害者や高齢者を見て能力の劣る者と決めつけると、人間としての本当の姿を見失うことにもなります。

各学校では、できることをより多くするために教育を行っていることはいうまでもありませんが、それが「できないことは劣っていること」という見方を助長することのないように注意しなければなりません。

手足が不自由であれば階段の昇り降りに困難を生じ、聴覚に障害があれば情報入手に不便さを生じ、意思疎通がうまく図れず誤解をまねくこともあります。できないでいる状況は、本人が困難に直面し、そこから一歩踏み出せないでいる姿と見ることが必要です。これは、私たち誰れでもが同じ状況に置かれれば起こり得ることなのです。

障害をもたない子どもたちが、盲・聾・養護学校の子どもたちや、特殊学級の子どもたち、お年寄りと多く接し、活動する姿を精一杯生きる姿として見る力が育つように、学校では教え導くことが大切です。

 

四、福祉教育の在り方

 

福祉の心は、教え込みや暗記するものではありません。また、同情や形だけのいたわりでもありません。

健常児が、障害に弱けずに、胸をはって立ち向かっている障害児の姿に触れ、自分の生活を顧みたり、人間としての共通な部分を見つけ仲間意識を持つこと。そして、高齢者の生活の知識や深い考えを知ることにより、今の社会を築いてきた先人の存在に気付くこと等を通して、障害児や高齢者に対する正しく理解を深めることが大切です。

社会を構成する障害者や高齢者を含めたすべての人々が共に生きる、豊かでうるおいのある社会を築いていくために、「福祉教育」は、今後益々重要な役割をもつことになります。

 

 

 


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