教育福島0158号(1991年(H03)10月)-026page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

輝きを増しています。学習もスポーツも友との会話も自然と共有してこそ美しい。太陽、木々の緑、土の感触、近頃やけに自然の様相が気になるのは、やはり年をとってきたからでしょうか。どこか、前世で会ったことのあるような、妙に懐かしさを感じます。

自然体で生きること、悟りきることは難しいことです。誰しも、あの時はこうすればよかったと思うことは否めません。しかし、結果はどうであれ、その一瞬を努力した価値に比べれば微細なものです。そこで、自分なりの「自然体」の三ヶ条を作ってみました。

○身体の自然なリズムに合わせた生活を心がける。

○様々な枠を取り払い、自然で自由な世界に生きる。

○肩の力を抜き、運命を自然に任せる。

勿論、これは一生懸命仕事に教育に励むことが前提になっていることはいうまでもありません。親切と思いやりの心を、自然から生徒から学び取る一方法だと思います。

ベテランと呼ばれる年代になっても、これといった理念がなかなかつかめません。某作家に「人間、まじめに生きようとすれば悩み迷うものである。」との意の言葉がありますが、主旨から考えれば、悩み迷っているうちは、人間、真摯に学び何かをつかみ取ろうと努力している姿なのかもしれません。

種々の経験、体験がその人の力を蓄積していくのも事実です。我々は多くの知識を書物から学びます。書物は知識を自分のものにする、最良のものの一つです。そして、自分の体験したことは、有形無形にしろ確実に血となり力となり生きていくうえでの大きな指針となります。常に生徒と語り、良い体験を積み重ね、悩み迷いながら成長して欲しいと思います。

自己本位になると自然がそして何より人間が見えません。自然の様相、太陽の輝き、緑のまぶしさ、紅葉の彩り、冬の凍てつく寒さ、その中で必死に学ぶ生徒の声に耳を傾け、伸びようとする生命力を与えてください。教育は窮極的には人間への愛情です。その土地になじみ、親しみをもつ人間関係をつくってください。

やがて、自然は一面色づき落葉し、銀色の世界になり、そして又、芽を出し生命に満ちあふれることでしょう。人間もそうありたいものです。

ご健闘を祈ります。

(県立南会津高等学校教諭)

 

いつの時代も子どもは風の子

室井初子

 

、名古屋に出て幼稚園教育の手ほどきを受け、今では三児の母親になりました。

 

私が、下郷幼稚園に勤めるようになって、二十年が過ぎました。小・中・高と、郷里、郡山市湖南町で過ごし、名古屋に出て幼稚園教育の手ほどきを受け、今では三児の母親になりました。

昭和四十五年、五歳児三十四人の担任として園児の前に立った時、どの子を見ても同じような顔に見え、戸惑いながらも、うれしくてうれしくてたまらなかったことを思い出します。ただ一生懸命園児と遊ぶことが日課でした。昼食になると、私より大きな弁当をひろげ、ささ竹の箸を使っておいしそうに食べる子どももおり、中学生の頃干し草刈りの手伝いをし、家族そろって小枝を折って弁当を食べた頃がなつかしくなったりしました。食べ過ぎて、そそうをした子どもに対する着替えの世話も仕事のひとつであり、それ等の体験を通して私も育ってきたように思えます。

そんな新米教師の頃記録した保育日誌の一ページに、こんな記録が載せてありました。

「もう少しで冬休みですよ」という私の話に園児の答えた冬休みの楽しみは、次のようでした。

○雪遊びができる。

○おいしいものが食べられる。

○汽車に乗れる。

○タクシーに乗っておかあさんの買い物に付いて行ける。

子どもたちにとって、生活経験を拡げることのできる、楽しい冬休みであってほしい。」

 

昨年の十二月、同じ質問をしてみました。返ってきた答えは、「雪遊び」だけでした。子どもは風の子といいますが、二十年前も今も、変わらない共通項でもあるわけで、そこに環境による教育を重視する幼稚園教育のあり方を認識し直したような次第です。

自然環境も、物的環境も園児のよりよい人格形成には大切な働きをし

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。