教育福島0158号(1991年(H03)10月)-028page
小学四年生の娘が今年の春から人が変わったように明るく快活になった。その理由は…。
娘は二歳で斜視になり、三歳から分厚いレンズのメガネをかけるようになった。幼い子供がメガネをかけているのはめずらしいのであろう。どこに出かけても、人の視線が娘に注がれているのを感じずにはいられなかった。特に、プールでは、無遠慮に娘の目を見ている子供や大人がたくさんいた。親として、こんなにつらいことはない。
その娘の目を、今年の二月、東京の病院で手術することができた。眼帯を取って初めて登校した日、娘はみんなが「治ってよかったね」と言ってくれたと喜んで帰ってきた。その日から娘は人が変わったようにはりきって生活するようになったのである。
親の目からも娘が不憫(ふびん)だと思っていたが、親がこれほどまでにも自分の目のことを思い悩んでいたのかと、元気になった娘の姿を見てあらためて思い知らされた。娘は目の手術で自信をもつことができたが、これも今まで親の気持ちをくんで温かく娘を見守り指導くださった先生方のおかげだと心から感謝している。
私は教師として、時々自分に問いただしてみる。生徒の表面的な言動だけにとらわれて生徒を見てはいないか。また、自分を表現できずにじっと耐えている生徒を見過ごしてはいないか。さらに、生徒の親の気持ちや願いを忘れてはいないかと。一人の生徒が、中体連の大会や校内球技大会の活躍をきっかけとして驚くほど意欲的な生活をするようになったり、授業中ほめられたことで学習に積極的に取り組むようになったという話はよく耳にする。私は、生徒たちが自分を変えることができるような機会をひとつでも多く作ってやりたいと思う。
教育課程の改定など、今日本の教育は大きな変化を求められている。しかし、いつの時代でも教師にとって大切なことは、生徒のありのままの姿を見取り、よりよい成長を願う温かい心ではなかろうか。
(郡山市立郡山第六中学校)
いつか通る道
水野明美
「どこに置いたのかしらねぇー。」我が家のゴッド・マザーが、探し物です。数日前から、そうっと探していたのを私は知っていました。気づかないふりをしているのも親孝行です。
でも、部屋中がきれいになってしまっても、一人になると探しています。で、とうとう、
「お母さん、何を探しているの?」
「貯金のね、証書がね…」
小遣いを預金しておいたものを、おろそうかと取り出して、電話に出て、ふと気がついたら袋はあるのだけど、証書をどこかに置き忘れたという訳です。
私達夫婦が、ホームズとワトソンになってみましたが、小説のようにはいきませんでした。
「ん?」
「どうしたの?お母さん。」
においのもとである台所にとんで行った私に、母は、
「ちょっと焦げただけよ。」
と、強気に構えていますが、お気に入りの鍋を焦がしてしまって、内心しょげてしまったのを、私は見抜いてしまったのです。
最近、我が家の鍋は、次から次へと新品になってきます。
変わらないのは、年齢のせいと思われたくない母の強気の姿勢と達者な口です。
「遺伝するのかなー。」
私の敬愛している先輩のお母さんが、痴呆症と呼ばれる病気になってしまいました。彼女と会うたびに、電話をするたびに様子を聞いて、悲しい症状に涙してしまいます。
そちこちで「痴呆症」の言葉を耳にするようになって、「極楽とんぼ」と言われている私も、新聞記事を読んだりテレビを見たりと、少々真剣になってきました。
高齢化社会といわれるまっただ中に、はつらつと、元気よく生きていくにはどうしたらよいのか。
いつかは、私も通る道。
元気に年齢を重ねていく両親を正視して、『どう生きるか。』ということを教えてもらおう。そして、
『私の生き甲斐は、何か。』
一寸立ち止まって、見直しをして、仕事を失った時も、高齢になっても変わらない生き甲斐を求めたい。
(いわき市立小名浜西小学校教諭)