教育福島0158号(1991年(H03)10月)-029page

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学校林活動に思う

日下幸雄

 

市で行われた全国植樹祭において、本校は学校林活動の部で準特選を受賞した。

 

本年五月末、京都府宇治市で行われた全国植樹祭において、本校は学校林活動の部で準特選を受賞した。

今後百年以上このような機会はないことを考えると、本校にとってはまさに貴重な受賞といえる。

この機にと沿革誌や学校林の記録をひも解いてみたら、次のような概要が記されていた。

「村から町に変わることを記念して、昭和三十五年に地ごしらえをし、同年十二月面積三町歩に杉と落葉松の苗九千本を植え付けた。しかしながら活着ままならず、三十八年まで合計三千本の補植を行った。その後は毎年雪起こしと下刈り、さらにつる切りと枝打ちを実施してきた。」

今、学校林の中にたたずみ、深く地に根ざした直経三十センチ、高さ二十メートルに成長した若杉たちが、天に向かって更に伸びんとする様を見るにつけ、過去三十有余年に及ぶ保育に携わった当時の生徒、父兄の方々そして教師らの口では言い表せない苦労がひしひしと感じられる。

暑い最中の下刈り。辺りに響くチェーンソーの音。ほおばる握り飯のうまさ。山越えして汲んできた水の冷たさ。村人からいただいたスイカの甘さ。

自然を仲立ちとして父母と子がその絆を太くし、汗する教師との語らいの中で更に信頼を強め、生徒自らは働くことの尊さを体得した。

そんな時、林業に詳しい人から「野中の一本杉」という言葉を聞いた。木は林の中で競い合ってこそまっすぐに育つもので、一本杉だけでは育ちが悪いということであった。

これを聞いて、昔会津の某儒学者が言った「蓬生麻中 不扶而直」(蓬麻中二生ジ、扶ズシテ直シ。)を思い出した。まさに至言である。

ともあれ学校林保育作業それ自体が大きな教育の場であることをまざまざと思い知らされた。

また昭和四十年頃、都会に就職したある人から「あの杉苗はどうなったのでしょう。私は故郷のあの杉が大きくりっぱに成長している様を心のよすがとして毎日を生きております。」という便りが届いた。

あはれ我がノスタルジヤは

金のごと

心に照れり清くしみらに

(「一握の砂」より)

故郷に帰れず歌った啄木の秀歌がいみじくもこの便りの主の気持ちを言い表している。

人は故郷から緑を連想する。心に潤いと豊かさを与える緑こそが人々にとって大切なものであると言われている昨今、学校林のもつ意義がとても大きく感じられてならない。

(三島町立宮下中学校教諭)

 

初めての渓流釣

 

初めての渓流釣

渡部敏郎

 

る。川はしぶきをあげ、いくつもの合流点をつくり、いきおいよく流れている。

 

川幅はさほど広くはないが、ひとかかえもあるような石がごろごろしている。カーブしている流れの内側には小さな河原ができ、外側はまっすぐに切り立った崖になり、その下を青々とした水が渦まいている。川はしぶきをあげ、いくつもの合流点をつくり、いきおいよく流れている。

「今の時期だと、あの辺にいそうだ。」「川の底をおもりがコロンコロンところがるように流すといい。」渓流釣のベテランの彼は言う。言われたとおりに糸を投げた。ググッという手ごたえを想像しながら…。糸は川の急な流れにスーと流されるだけで何の手ごたえも感じない。まして、おもりがコロンコロンころがる感覚など感じることはできなかったのである。ベテランの彼は、すぐ

 

 

 


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