教育福島0159号(1991年(H03)11月)-019page

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また、旅館は私の学校の他、他県の高校が二つ入り超満員。おまけに練習会場がないので、それはそれは大変でした。ただ一人の病人も出なかった事が救いだったと思いました。経費の面で事務局の方には大変な御心配をかけましたが、本校同窓会よりこの為にと資金の援助をいただき大助かりでした。それでも個人負担の大きいのは避けられなかったのです。しかしその反面、金にはかえられない素晴らしい収穫を得て帰りました。その一つに彼ら生徒の歌に何かを感ずるようになったことがあげられます。この発表を機に歌に内在する心を歌うことが出来るようになった事です。もう一つはそれを自信をもって表現することが出来るようになった事です。それは十月に行われた全日本合唱コンクール県大会、東北大会で銀賞に入賞できたことが物語っていると確信しております。この文化祭には決してすばらしい団体ばかりが出場しているわけではありませんが、他校の活動状況を知り、いい刺激を受けましたし歌う事の難しさ楽しさを体験しつつもステージに立つ心地よい緊張感など意義あるものでありました。この貴重な経験は生徒も、指導者の私も来年二月に行われるアンサンブルコンテストをはじめとするこれからの部活動に大いに生かしていかなければと肝に銘じ頑張っております。

 

全国高等学校総合文化祭演劇部門に出場して

県立湯本高等学校演劇部

平成二年十二月十六日。夜に入って六時三十分、外には小雪のちらつく一の関文化センター。ほぼ満員の会場は静かな熱気につつまれていた。東北地区高校演劇コンクール。成績発表の瞬間が近づいているのだ。福島出張の帰りだと言って応援に駆けつけてくれた吉田校長は、新幹線の時間が来てしまい、如月小春さんの講評を聞いたあと帰った。「今の講評だと脈があるぞ。」とにやりと笑って帰っていった。結局、校長の予想どおり、最優秀賞となり、東北でただ一校の全国大会出場となった。福島県としては六年ぶりのことである。

全国高校演劇コンクールは、昭和三十年を第一回として、今回(平成二年八月、丸亀市民会館)第三十七回、全国高文祭演劇部門としては第十五回を迎えている。全国高校演劇協議会加盟校は二一六六校である。自慢話めいて甚だ恐縮であるがお許し頂くとして、この二千校以上の中からわずかに十一校だけが全国大会に出場できるのである。ある新聞が見出しで「演劇の甲子園」と書いてくれたが、ある意味で、そう言えると思う。つまり、生徒たちの出場を夢みる気持ちと、それに向かって進む熱気という意味で甲子園とよく似ていると思うのである。もちろん演劇は「試合」とは全く異なるが。

香川県丸亀市での全国大会は、生徒三十五名、顧問二名で参加。真夏の丸亀市民会館は連日満員で、冷房がきかなくなるほどの熱気あふれる三日間であった。残念ながら四位までの入賞は果たせなかったが、初出場とは思えぬのびのびした演技で会場をわかし、満足して帰路に着くことができた。四国なので予算面で大変であったが、県高文連からの援助といわき市からの援助でとても助けられた。

湯本高校演劇部は、三年生が受験のため夏以後引退して現在二十五名で活動。今は十一月中旬の地区コンクールめざして練習に励んでいる。放課後、発声練習からはじめて、部長を中心に仲良く活動している。半分以上は裏方で、大道具づくりに精を出す者、効果音の録音に苦労する者、照明プランを考えている者、衣裳やメイクアップを担当する者と二十五名では足りないほどの仕事がある。幕が上がって下がるまで、この裏方の姿はどこにも見えないが、彼らこそが芝居を創っている人間だと言える。そして、部員たちは誰もがそのことを知っている。手前味噌だが、それが演劇の魅力であろう。

今後、高文祭を益々充実発展させ音楽や他部門と共に一人でも多くの人に見てもらうことが課題である。

 

 

 

 

 


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