教育福島0159号(1991年(H03)11月)-025page
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だれもがみな主人公
原中伯子
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時には思い出行きの
ガイドブックにまかせ
あの頃という名の駅で降りて
むかし通りを歩く
こんな詩で始まる「主人公」という歌がある。私は、この歌が好きである。最後のくだりには、
小さな物語でも
自分の人生の中では
だれもがみな主人公
そうである。どんな人生でも、その人生という名の物語では、その人が主人公であるというのである。
「先生、ぼく、高校に合格したんです。ぜひ、先生に知らせたくて。」これは、分校で一・二年と教えたM君からの電話である。あれからもう七・八年たっているというのに…。嬉しい電話だった。
そして、未だに、初任の時に教えた子供たちからも便りがある。
「今度、結婚することになりました。先生、ぜひ出席してください。」
「今度、引越しました。新しい住所をお知らせします。」
「大学を卒業し、就職しました。仕事はきついですが、がんばりたいと思います。」
こんな話を聞くたびに、私が歩んで来たちっぽけな道が見えてくる。そしてかれらは、自分の選んだ自分の道を歩んでいるのだ。一歩一歩踏みしめながら、それぞれ精一杯、自分の人生を生きているのだ。
と、同時に、教えてきた、いや、出会った子供たちの、長い人生という道のある一瞬に、私が存在しているということを感じざるを得ない。
人により、多少の違いはあるだろうが、もしかしたら、私との出会いが大切な指針になっている場合があるかも知れない。そんなことを考えると、今出会っている子供たちとのふれあいを大事にしていきたいと思う。
私たち教師にできること-それは教え込むことではなく、長い間にわたって、人生を共に考えることではないだろうか。時々来る便りに胸をおどらせ、共に喜び、共に励まし合い、またの出会いをを期待しながら、人生を「主人公」として立派に生きていけるように願い続けることではないだろうか。
「主人公」という歌が、また私の中で歌い始める。
−自分の人生の中ではだれもがみな主人公だと−
(浪江町立請戸小学校教諭)
先輩教師に学んで
瀬戸大
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執筆の依頼があって何を書こうかと困ってしまった。まず「日々の思い」に目を通す。趣味がないので、学校の事しか思い浮かばない。教務、初任者研修、理科教育、先輩教師、PTA活動など。しかし、生徒のより望ましい学習の姿が見えてこないのはどうしたわけか。
白河二中での十年前を振り返ると、一騎当千の先生方が活躍されていた。学年主任としての経営手腕、教科指導への情熱、生活指導の徹底、部活動の指導、職員会での意見と実践…・を眼前にして、私は片隅でうずくまる教師であった。
そんな先輩教師の中で、理科を通して指導してくださったのはA先生であった。かつて小学校教育に携わった経験から、指導案検討での、導入・展開・終末における「教師の発問」には、ことの外厳しかった。このような発問にすれば生徒にわかりやすい、このような指導過程では、生徒に思いきり活動をまかせるものにはなっていない、等々。
さらにA先生は、写真愛好家として知られ、医師・薬剤師、経済界の人達との撮影旅行・研修会などで交流を深め、多方面にわたる趣味・特技を持たれた。また陸上競技公認審判員として、中学生・高校生の陸上選手の育成、指導者の養成に意を注がれた。それらの活動を直接拝見することはなかったが、A先生の広い視野から中学校教育を見つめ実践していることは、その言動から推察できた。
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