教育福島0159号(1991年(H03)11月)-041page

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違和感をなくし、外国人と話ることに抵抗を感じなくなっていく。ことばや習慣の違いを超え、人間としての同質性を見いだすからなのだろう。

職員・生徒が一体となって作りあげるこの国際交流会は、本校の特色を示す一大イベントとなっている。

 

外国人生徒との対話

外国人生徒との対話

 

二、外国の視察団との交流

 

本校は開校当初からAETを迎え、生の英語を聞き、外国の文化に触れる豊富な手段が与えられてきた。さらに、数回にわたって、外国の教員・学生らによる視察をうけ、交流を図ることができたことも、生徒にとって貴重な経験になっているに違いない。日本の良い思い出となるよう、アイディアを出し合ってお土産の品を用意したこと、頭の中の英文を駆使して質問し、返答をもらったこと、あるいは並んで一枚の写真におさまったこと、こうした小さな体験の積み重ねが、生徒の目を世界に向ける契機となっているものと信じている。

以下は、外国からの視察団と生徒との交流の記録である。

(一) ビルマ・カナダ中学高校教員による学校訪問 (昭和六十三年)

国際交流基金「中学高校教員招聘計画」の一つとして、ビルマ(現ミャンマー)人教員九名とカナダ人教員八名が本校を訪れた。一行は、生物実験とコンピュータ実習の授業を参観した後、ビルマ三グループ、カナダ三グループに分かれて、国際文化科の生徒と懇談を行った。ある生徒は「私は国際文化科で勉強しているが、考えてみたら、欧米の先進国のことしか知らなかったので、今回、同じアジアにあるビルマの人々と話し合えたことは良い経験になった。」と述べている。懇談会後、記念に贈られた両国の国旗やバッジ等は、現在も英会話実習室に飾られ、後輩たちが時折手にしている。

なお、本年十一月には、これと同じ計画で、ヨーロッパ各国からの視察団を受け入れることになっている。

(二) 英国エディンバラ市の高校生・大学生による学校訪問(平成元年)

保原町の国際交流事業の一つとして、英国のエディンバラ市から高校生十名、大学生四名が、ホームステイを始めとする交流や研修のために来日した。本校にも受け入れの依頼があり、次のような交流を行った。

本校教員との懇談のあと、一行はコンピュータ、ワープロの授業を見学し、日英の教育について、本校生と話し合った。同年代の外国人と話をするという経験は初めての生徒が多く、学校生活や将来の夢などについて楽しく話し合った。

なお、翌年夏には、本校生二人がエディンバラを訪れており、日英の相互交流が実現している。

(三) スペイン人・アイルランド人との懇談会(平成元年)

福島市内の専門学校で日本語の集中講座を三カ月にわたり受講している三人のスペイン人と七人のアイルランド人との懇談も同年行っている。彼らは二十歳から二十六歳の青年で、保原町にある民間企業の研修生である。懇談内容は、各々の国の紹介が主であったが、シエスタ(食後の昼寝)のことについてスペイン人に楽しく説明を求める生徒の姿が印象的であった。授業で学んだことを現地の人に聞いて確かめていたのである。

 

三、留学生の受け入れ

 

これまで行ってきた国際交流は、本校の特色や校風を形成するうえで一定の成果をあげてきたが、交流が本格化すればするほど、ナマの文化がぶつかり合うだけに、それに伴う摩擦も大きくなる。しかし、高校生にとっての国際交流は、何といっても同年代の高校生同士の交流が最も効果的なので、それによって生じる文化摩擦も国際交流推進の大きなエネルギーになるものと思われる。

この度、県教育委員会のご配慮で、本校は、この十一月、初めてアメリカからの長期留学生を迎えることになっている。国際文化科の生徒を中心に、毎日、どのような交流が展開されていくか、楽しみなところである。外国の人々と何のためらいもなく仲良くやっていける柔軟な感性と資質を身につけさせることが、これからの教育に求められることではないだろうか。

 

四、今後の課題

 

国際交流に対する意識の高揚が顕著にあらわれている今、本校は、特別活動を通して体得した自信や喜びを教室から一歩進めて、海外の高校との人的交流を深めたいと考えている。「夢を持つこと」-これもまた、国際交流に携わる者の大切なエネルギーだと思っている

 

 

 


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