教育福島0160号(1992年(H04)01月)-024page

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ある日、三年生の男子生徒数名の、一生懸命清掃している姿が目に止まった。その姿が不思議なほど自然なので驚いた。足を止め、辺りの様子を注意深く見ていると、なんと年輩のA先生も黙々と清掃しているではないか。私は、今まで生徒を責めることしかしていなかったことがとても恥ずかしくなった。次の日、私も黙って壁の汚れ落としを始めた。けれど内心はとても不安だった。私の姿を見て生徒たちは手伝ってくれるのだろうか、そんなことを考えながら汚れを落としていると、いつのまにか私の横に生徒が並んで拭き始めた。私は、生徒のやさしい気持ちが伝わってくるような気がして胸が熱くなった。

初任者研修で聞いた「自分でできそうもないことを子供におしつけないで、自分で行ってみる」という話を、このとき実感した。また、先輩の先生方の後ろ姿が私たち若い教師を導き、そして教師の後ろ姿が生徒を教え育てていく原動力となることを学んだ。

本校は、平成元年度より三年間にわたり道徳教育推進校の指定を受け、十月三十日にその成果を発表した。教師と生徒が一丸となって発表会を迎えることができ、私もその一員として取り組んでこれたことは、今後の心の支えでもあるし誇りでもある。担任の先生とともに課題の解決に懸命に取り組む生徒の姿にも感激した。教師の果たす役割がいかに大きいか、保護者や地域社会の方々の学校に対する深い理解と協力がいかに大切か、身をもって学ぶことができた。本校の先生方は、「研究とその成果は紙の上に残すものではなく、生徒の心身に残すものである。」という基本的な考えのもとに着実な研究をすすめておられた。身近にこのようにすばらしい手本があるのだから、すべてを精一杯自分の心身に吸収したい。いまだに失敗も多い現状であるが、先輩の先生方に学び、あせらずじっくりと教育活動に取り組んで行きたいと思っている。

先日もこんなことを聞かれた。

「先生、生徒はかわいいでしょう。」私は自信を持って答えることができた。「はい、かわいいです。」と。

(福島市立福島第二中学校教諭)

 

師の心、子の心

根本修行

 

、私は、立派に成長した教え子のガイドするバスに乗ることになったのである。

 

「根本先生じゃないですか」と、突然背後から女性の声。今日のバスガイドはどんな人かなと思いながら宿泊訓練のバスに乗り込もうとした時である。振り向くと声の主はそのガイドであった。一瞬、誰だろうと戸惑う私の顔を察知して、彼女は自己紹介をしてくれた。「あっ、そうだ」と、そのとき教職四年目に受け持った彼女のあどけない姿が浮かんだ。奇しくも、私は、立派に成長した教え子のガイドするバスに乗ることになったのである。

車内での彼女は、子供たちを楽しませ、飽きさせないようにと懸命だった。その姿を見ているうちに、私の脳裏には、当時の記憶が蘇ってくる。近くの川に連れて行ったこと、遠足の時のこと、写真を撮ってハガキにしたことなど……

あれこれ思いを巡らしていると子供たちを上手に楽ませてくれといった気持になっていた。いつの間にか、彼女を応援していたのである。これまでの私は、このガイドさんは少し話しすぎかな、声が高いんじゃないかなと、批判的に見がちだったが、今回だけは違っていた。ガイドさんの繰り出すゲームに、子供たちが興味を示さないではたいへんと、率先して手を挙げたり、進んでゲームに参加したりもした。こうして私は、ガイドさんを困らせないようにと、いろいろ気を配って、目的地に着くまで落ちつかなかったのであった。

今日まで、私は三人の恩師に同じ職場でお世話になった。いつも親切にしていただいた。当時、先輩の教師から自分の教え子とはいっしょに勤務したくないというようなことをよく耳にしたものだが、そのころは、自分の当時の姿を知られているのが気はずかしいからなのだろうと考えていた。しかし、今回成長した教え子に数年ぶりで会ってみると、相手が大人になっているにもかかわらず、子供のころのイメージで接してしまい、心配のあまりつい手を差しのべないではいられない気持ちにかられるからだと思う。

私自身は、恩師と同職場に勤めることはもうないかも知れないが、もし再びその機会があれば、かつての教師と生徒の関係に戻って、またたくさんのことを学びたいと思うし、成長した自分の姿を見ていただきた

 

 

 


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