教育福島0160号(1992年(H04)01月)-027page
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八溝山
小野田義和
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棚倉町に住むことになってはや七ヶ月、周囲の山々には、冬枯れてくすんだ紅葉の中に濃い緑が斑のように残っている。この寒々とした景観と対比するかのように、晴れた日には空は抜けるように青く、陽の光はやさしく、雲は絹のように広がる。町の南西端にある八溝山は標高一〇二二メートル、このあたりでは最も高い山である。私はこの山を大学一年生の時に無線クラブに属していたのが縁で知った。その後、この山に登る機会もなく八年の歳月が流れた。
五月のある土曜日、勤務を終えた私は、天気のよさに誘われ、八溝に行ってみようという気持ちになった。校門を出て、車を那須方面に走らせ、段河内というところから左へ折れた。久慈川沿いの道へと進み、釣り道具屋の前を通って林道へと入って行くと、道の両側からは、包み込むように木々が枝を伸ばし、緑のトンネルを造っている。初夏の強い光が木漏れ日となってフロントガラスを流れていく。左に白い飛沫をあげる渓流、右に苔むした岩壁を見ながら山頂を目指して行くと、明るく開けた尾根で、黒羽から登って来る林道と合流する。舗装道路のやや急な道を登っていくと、右手に視野は大きく広がり、伐採したばかりの斜面のところどころには切り残した杉の木が目立つ。その裾野からは栃木、茨木の県境の八溝山地が、その山並みを南へむけて連ねている。空気が澄んでいれば富士山が望めるというが、関東の北端に位置するこの山からは、遠くは霞んで見えない。山頂には八溝嶺神社が鎮座している。この神社にまつわる話として、平安時代には遣唐使を送り出すための資金として、地元で産出する砂金を都に献上したことが知られている。神社の近くには、展望台や運輸省の国道維持のための電波中継所などの施設があり関東と東北を結んでいるかのようであった。
最近、空気の澄み渡る日が多くなり、冬枯れの八溝の山並みを放課後眺めていると、富士山の嶺がはるか彼方にその姿をあらわしているのではないだろうか、とふと思ったりする。社会科離れが一方では叫ばれるなかで、平安時代ゆかりの八溝嶺神社を始めとする多数の歴史遺産や美しい景観のみられるこの地域のことを社会科学習の教材として活用していくことで、身近な地域社会の理解をはかりたい。そして生徒の社会科離れに少しでも歯止めをかけたいと思っている。
(県立棚倉高等学校教諭)
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八溝山遠景
ミニ合宿から学ぶ
牧野正敏
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九月の連体のことである。夕方近く、突然「こんにちは」という元気のいい女性の声が玄関に響いた。出てみると、なんと六人ものトレーニングウェアー姿の女子高生が日焼けした顔の中の目をきらきら輝かせて立っていた。
「監督はまだお帰りになっていませんか。お帰りになっていなければ、失礼して上がらせていただきます。」運動部の生徒らしく行動も速い。家に上がったかと思うと、「今晩の夕食は私達がつくります」と言いながら、はや夕食の支度にかかっていた。
この女子高生達、実は、高校に勤務する私の妻の生徒であり、連休を利用して我が家を根城にテニス部ミニ合宿を始めようとしていたのであ
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