教育福島0160号(1992年(H04)01月)-028page
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る。やがて、妻も息子達も帰宅し、十人での夕食が始まった。いやはや食べるは食べるは。見ていても実に気持ちいいものであった。
二日間のミニ合宿だったが、いろいろ私なりに考えるところがあった。
寝食を共にし、生徒達は何を学んでいるのだろうか。六人もの生徒が一緒に生活していると、それぞれの個性が出るものである。これでペアーを組んでテニスができるのだろうかと思われる個性表現の場面も何度か見られた。もちろん、個性は大切に持ってもらいたい。しかし、特にペアーで競技する軟式テニスの場合などは、それぞれの個性を出し合うだけでは勝利はおぼつかない。互いの個性を理解し、認め合い、生かし合う心が大切である。
六人の生徒達はこのミニ合宿を通してこのことを身をもって感じたのではないだろうか。
私の勤務する学校は全校生八十二人の小さな学校である。したがって、清掃や係活動、部活動にしても全校生心を一つにして取り組まなければ成果を上げることはできない。
生徒達は明るく素直でどの活動にもそれなりに取り組んでいる。しかし、それぞれの生徒が個性や自分のよさを十分に生かしながら一心に取り組んでいるかとなると、そうとは言えない時もある。ミニ学校なのだから、お互いの気心も十分にわかっているはずであり、個性や自分のよさも出し合いやすいと思われる。しかし、実際には気心がわかるだけにかえってそのことができにくい面もあるのではないだろうか。
ミニ合宿を間近に見ながら、これまでの私の指導にはこの一人一人の個性やよさを認め合い共に伸びていくような指導が欠けていたのではないかと思えてきた。
あの日以来、このことを常に念頭におき、生徒たちとの触れ合いに努めている。
(館岩村立舘岩中学校教諭)
子どものために
井上隆光
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「子どものために」という言葉をよく耳にします。私はその言葉を聞くたびに、自分は「子どものために」一生懸命やっているのだという自負心を盾にして、教育活動に従事してはいないだろうかと思うことがあります。
私はかつて、山間部のある小学校に勤務した折、五年生十五名を担任したことがありました。受け持った当初は子ども達は授業中の落ち着きに欠け、話をしていてもいっこうに聞こうともせず、自分勝手におしゃべりばかりしていました。また、名前を呼ばれても返事もしないで黙っていたり、挙げ句の果てには「あ-」とか「うん」という返事しかできませんでした。
そこで学級の立て直しを図るため、全て一から出発して指導することになりました。「この学校だけで、この地域だけで通用する人間にしてはいけない。子どもたちが、どこに行っても通用する人間になってほしい」という願いを込めながら。
しかし、初めはなかなか思いどおりにはならず、途中で根負けしそうになりました。確かに小学校の四年間の学習や生活で培われてしまったものを打破して、新たなものを身につけるということは、子どもたちにとっても容易なものではなかったはずです。でも、ここであきらめてはいけないとばかり、私はあえて指導の手をゆるめることはしませんでした。
そんな子どもたちと悪戦苦闘しているうちに、いつの日か子どもたちの様子に変化が見え始めました。
人が話をしている時は静かに黙って聞き、返事は大きな声で「はい」と、ほとんどの子が言えるようになってきました。また、学習面のみならず、挨拶の仕方、廊下の歩き方など生活全般にわたって、少しでも向上しようとする意欲が、ふだんの生活態度の中で感じられてきました。
今までどちらかというと、悪い面でばかり注目視されてきたクラスが、『やれば、できる』を学級の合い
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