教育福島0160号(1992年(H04)01月)-029page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

言葉に、新しく蘇ったのでした。

しかし、それは私と子どもたちにとって、ほんのプロローグにしかすぎず、まだ他にも山積みした課題がありました。

子どもたちには、無限の秘められた可能性があります。そして、子どもたちの持つ芽は一つ一つ違い、学校はその子らの持つ芽を引き出し、美しい花を開かせる所であると言われています。ところが、今までの自分を振り返ってみると、一人一人の子どもたちのよさや可能性を引き出し、それを十分に生かすことができたかというと、はなはだ疑わしい限りです。

「子どものために」。

それを今、私は新たな立場で模索しているのです。

(いわき市立小白井小学校教頭)

 

文化祭を顧みて

遠藤皓一

 

となった素晴らしい取り組みとなり、涙と感動の中で幕を閉じることができた。

 

生徒会総会に出された三年一組の修正案から始まった今年の文化祭は、生徒と教師が一体となった素晴らしい取り組みとなり、涙と感動の中で幕を閉じることができた。

三年一組の修正案というのは、文化祭行事の一つに「全校生によるフォークダンス」を加えてほしいというものであった。

総会での採決の結果は、賛成学級と反対学級が三対三の同数となり、決定は生徒会委員会に任されることになった。しかし、どうしても「フォークダンスをやりたい。」という三年生は、実行委員会を作り、三年生をまとめるところから活動を始めた。

先生方に相談し、学年総会の中で、三年生全体が協力し合って「フォークダンス」に取り組むことを確認した。また、生徒委員会では、一、二年生の代表を説得し、ついに「フォークダンス」の実施を決定した。

その後、三年生が実行委員会を中心に、昼休みに練習を始めた。それから、一、二年生に働きかけをしていった。先生方は、生徒たちの主体性を大切にしながら、練習の場と時間を確保するなどの援助に努めた。

やがて、こうした努力が実り、一、二年生も全員が参加するようになった。あるときは、 一年生が催促して練習するなど、全校生が自分の意志で積極的に参加するようになっていった。そして、この盛り上がりが、文化祭のメーンである全校生による合唱「象列車がやってきた」を成功させる原動力ともなった。

更に、文化祭を成功させることが三年生を変えることだと全職員が理解し、生徒の中に入って歌ったり、用具を作ったり、演出をしたりした。その結果、先生方と一緒に仕事をしていた生徒たちが動き出し、最初はしぶしぶ活動していた生徒たちや、いつもなら声をかけても動こうとしない生徒たちが役割分担を申し出て積極的に活動に参加するようになった。

保護者の協力も大きな力となった。帰りが遅くなったとき迎えに来たり、仮装の準備を手伝ったりして生徒たちの意欲を支えてくれた。

こうした一つ一つの積み上げが、文化祭当日になって、生徒と教師はもちろんのこと、多くの参観者に感動と喜びの涙をもたらした。

生徒と職員を信じ、生徒の自主的な活動を温かく見守ってくれた校長先生。生徒を信じて援助に努めた先生方。惜しみなく協力してくれた保護者の方々、多くの人々に支えられながら、たくましく成長した生徒たち。

充実感と自信にあふれた一人一人の喜びの顔にまじって、私自身も最高の喜びに浸った文化祭であった。

(滝根町立滝根中学校教諭)

 

雑感

下山田恵一

 

て何よりも友人と呼べる者をつくれなかったことが大きいのではないだろうか。

 

今年も、まもなく卒業式を迎える時期となった。あっという間の三年間であった。担任として、何ができたのかと反省の日々である。卒業文集の中に見る三年間の思い出には、それぞれの思いが感じられる内容であるが、中には、何も思い出らしきものが書いていない者もある。理由としては察するところ、目的意識を持たないままきてしまったとか、打ち込むものが見つからなかったとか、そして何よりも友人と呼べる者をつくれなかったことが大きいのではないだろうか。

高校は、欠席、遅刻、早退を少な

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。