教育福島0161号(1992年(H04)02月)-019page

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教師として

皆川平

 

出来事を報告に来る時、そんな時の輝くような笑顔に私は勇気づけられてきた。

 

「先生」と呼ばれるようになって一年が過ぎようとしている。毎日が失敗の連続で、自信を失いかけた時、子供達の笑顔が私を支えてくれた。漢字テストで百点をとった時、一緒に遊んでいる時、家での出来事を報告に来る時、そんな時の輝くような笑顔に私は勇気づけられてきた。

そのような毎日の中、帰りの会で一日の反省を発表する時に、ふと気づいた事があった。一学期は、反省のほとんどが、体育が楽しかったとか、休み時間に遊んだ事がおもしろかったといった類であり、知的教科が、その対象になるのは、理科の実験や、社会の見学以外は、皆無と言ってよかった。

それが二学期が始まってしばらくすると、理科の授業のある日は決まって、

「今日の理科が楽しかったです。」と言った反省が聞かれるようになってきたのである。

理科は、二学期になって教頭先生に受け持っていただいているのだ。教師一年生の自分とベテランの教頭先生とでは力量が全然違うのは認めている。しかし、同じ教師として、子供にとっては何らの違いもないのである。そう考えた時、一学期から感じていた授業に対するあせりが切実なものとして感じられてきた。自分は教師なんだ。プロなんだ。それで報酬を得ている以上、子供が興味、関心を持って意欲的に取り組めるような授業をしなくては子供達にすまない、そう強く思うようになった。そして、一日の反省で、「今日の国語が楽しかったです。」とか、「今日の算数がおもしろかったです。」なども出るような授業にしようと心に誓った。

その日からは、以前のように教材の内容を研究するだけではなく、どうすれば子供が意欲的に取り組めるか、どのようにすれば楽しい学習活動になるかを中心に教材を研究するようにした。体験的な活動や具体物を使って活動できる授業、そのなかから、新たな疑問が生まれるような子供中心の授業にしようと努力した。また、初任研の授業参観の度に、様々な方法を学び、実践してみた。

そして、ついに二学期の終わり頃には、「今日の国語が楽しかったです。」とか、「今日の算数が楽しかったです。」といった発言が聞かれるようになったのである。その時、初めて教師として認められたような気がしてとてもうれしかった。

しかし、まだまだ給料の三分の一も働いていないような気がする。子供が生き生きと活動できる授業を目指して努力を続けて行きたい。そして、早く胸を張って給料を貰いたい。

(田島町立田島小学校教諭)

 

素晴らしき出会いの中で

柳沼照子

 

いろな人との出会いによって支えられてきたからだとしみじみ思うことがある。

 

現在教職十三年目。自分でも、もうそんなになるのかと信じられないぐらいである。今の私があるのも、いろいろな人との出会いによって支えられてきたからだとしみじみ思うことがある。

今は亡き人となってしまったY校長先生。わずか二百名に満たない小さな学校ではあったが、子どもの性格はもちろん、家族構成や縁故関係に至るまで、担任以上によく把握されていて驚かされた。それは、常に子どもたちの中に入っていって、挨拶を交わし言葉かけをし、遊んでいらっしゃったからだろう。子どもたちも、親しみをもって、無条件に受け入れ、その信頼感は、担任が悔しがるほどであった。そして、口に出さずとも子どもたちには、挨拶は自分から進んでやること、いつも外で元気に遊ぶこと、見つけたゴミは進んで拾うこと等態度で教え、私たちには子どもや地域の人たちとの接し方について範を示してくださったように思う。つい口先だけで、「〜しなさい。」と言ってしまいがちな私は、時々Y校長先生を思い出し、はっとさせられるのである。

それから、今は、教頭先生となって、他の職場で活躍されているS先生。子どもたちばかりでなく、父母からも絶大なる信頼が寄せられていた。連絡帳や学年だより等で、毎日子どもたちの学校生活の様子を知ら

 

 

 


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