教育福島0161号(1992年(H04)02月)-020page

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せたり、父母と相互の意見交換などをしたりして、学年経営に十分反映させていたからではないかと思う。そして、一番心に残るのは、

「自分の子どもにしてほしいと思うことを、クラスの子どもにもしてやりたい。」

とおっしゃって、工夫された指導法で、楽しくしかも実のある授業展開をされていたことだ。

私も三人の母親となり、上の子は小学二年生となった。子どもを小学校にあげてみると、そのS先生のおっしゃられた言葉が当時よりも鮮明に思い出され、実感となってくるのである。そして、私も、「自分の子どもにしてほしいなと願うことを思う存分やってやりたい。」と考えながら、毎日を送るようになってきた。

その他にも、たくさんの人からいろいろなことを学んできた。

私たち教師は、毎年個性豊かな魅力あふれる人たちと出会うことができるという点で、素晴らしい職業だと思う。いつも自分を甘やかし、そんな自分に自信が持てなくなりそうな時が多い私ではあるが、出会いを大切にし、自分にないものを学びとり、少しでも自分を高めていくことができたらと感じている昨今である。

(月舘町立月舘小学校教諭)

 

外国での教師体験

竹島明

 

が、まさにその通りの人々に囲まれて、ゆったりとした生活を送ってきました。

 

平成二年四月から翌年三月までの一年間、オーストラリアにある棚倉中学校の姉妹校カーディフハイスクールに勤務してきました。シドニーから北へ約一七〇kmあるニューカッスル市を中心にしたハンター地方です。ワインの産地で有名なところです。気候は温暖で適度に雨も降ります。冬は寒くても朝吐く息が白くなる程度で雪は降りませんでした。夏は最高四十三℃まで上がりましたが、湿気がなくカラリとした暑さでした。「オーストラリア的」というと「細かいことにこだわらない、楽天的でおおらかで、裏表がなくて明るい」ということになるのでしょうが、まさにその通りの人々に囲まれて、ゆったりとした生活を送ってきました。

現地で、私は「日本語教師」としてオーストラリア人教師のお手伝いをしてきました。現地での日本語熱は想像以上に高いものがあります。ハンター地方には四十一のハイスクールがありますが、日本語を設置していない学校は一校のみです。日本語を選択する生徒の数も年ごとに急増しており、今や外国語の中で最も人気のある教科になっています。大変なのはそれを教える先生たちで、それまでフランス語やドイツ語を教えていた先生が大学へ通い直して自ら学習しながら指導している現状です。

日本語の授業も大変楽しくてユニークでした。驚いたのは日本語だけでなく、文化・生活習慣そしてものの考え方まで、すべての日本を学ぼうという姿勢です。「遠足」という名目をつけて、日本料理店で「ハシ」を使って、「テンプラ」や「ヤキメシ」を食べたり、幕の内弁当を注文して教室で食べたこともありました。しかし、生徒たちにとって日本語は大変むずかしい教科であるようです。

学校生活を見てみると、日本とはかなり違っていました。あらゆる面において、ゆとり・寛大さがありました。完全週五日制、そして一日の日程も九時から三時二〇分までで部活動がありません。授業は毎時間教室移動をします。自分たちの教室がないからです。昼食の時間は、サンドイッチやビスケットなどの弁当を持って来るか、学校の売店で食べ物を買って屋外で自由に食べます。このようなことは日本の大学に似ているところがかなりあります。日本では高校生や大学生に要求されるような責任や自主性をオーストラリアの中学生たちは背負っている面もあるように思いました。

一年間、日本を離れて、日本人として生きる誇りを持てたし、同時に外国には学ばねばならないことがたくさんあることも知りました。

(棚倉町立棚倉中学校教諭)

 

 

 


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